テンポラリー通信

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2006年 08月 31日

雲流れるー秋のはなし(1)

風の濃い日だ。自転車を漕いでも風の抵抗が多い。速度が鈍る。ペタルが重く
感じる。風は程良い冷気を含んで爽やか。秋の風だなあ。昨晩7時ころ東区の
区役所に勤めているKさん来る。ゆっくりと佐佐木方斎さんの資料を見ていく。
彼はかってのさっぽろの基幹産業を支えたビールと亜麻の元となったホップと
亜麻の花を再現するホップと亜麻のフラワーロードに取り組んでいる。そのテー
マソングを私の所のライブで知りあった古館賢治さんに依頼し最近CD化したば
かりだ。JAZZも好きでエレガントピープルのサックス奏者仲西浩之さんの親友
でもある。ここのオープンの時はさっぽろの地ビールに川の地図をラベルに印刷
して祝ってくれた。心通う友人だ。’80年代の駅裏8号倉庫の話からその時代は
鬱だった自分の話になりバブルと対極の青春の孤立し閉じた個の事がぽっりと
語られた。今彼が役所の仕事を超えて個人的にも自分のさっぽろと深く関った
仕事をしていることは知っていたから彼の’80年代は意外な気もした。明と冥。
それぞれの時代が在る。それから亜麻の花の話になりその透き通るよな青は
北のブルーだと青の話になった。釣りの好きな彼は熊石の渓流でみた函の水
の色が忘れられないと言った。深いブルーに溜まり周囲は高い切り立った崖
でその色も鉄錆び色の赤茶色でこの色も凄かったと言う。ブルーの寒色と赤
茶色の暖色、これは北海道の北の色だねと話が跳んで東区のタマネギその
伝説の名前「サッポロ黄」と亜麻の花の青これをテーマになにかできないかと
いう話になった。私には春一番の残雪の黒い茶色の地面から咲く福寿草のイ
メージがあってその黄色黄金色に冬の終わり春の喜びーJOYを感じていたの
で<サッポロ黄>と名づけられたその黄色にも同じ魅力を感じていたのだ。そ
れと積丹ブルーと表現されるここ特有の青にも関心があった。オホーツクで初
めて流氷を見た京都在住の白の作家が流氷の白はブルーだと言ったのも頭に
あった。雪山の晴れた日の真っ白な世界も深とした青を底に秘めていた。北は
青と黄ですよ、繊細な青、深い青ー藍。南は紅型の赤。この対比を明確になに
かやろうと盛り上がった。フアイン役人のKさんのさっぽろがこれからまた新た
に展開していくといいなあ。亜麻はフランス、サッポロ黄はアメリカと繋がるそう
だ。固有の地域に拠る色のオーバーフエンス。それが東区という一地域から
発せられれば世界はもっと身近に深まる。亜麻の花の再生が別のmyjoyとなり
mydelightとなりmyheartofgoldとなる事だ。「グリーンスリーヴス」からの転用
英語ですが・・。ブラザースフォーのCDを聞きながら飲んだ昨夜の話。
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by kakiten | 2006-08-31 14:58 | Comments(0)
2006年 08月 30日

曇り日ー夏のひかり(10)

雨模様の日。空気中に水分が増している。風が通り湿度は高くない。水が清む
季節が近い。夏の疲れが少し潤う。しかし疲れも溜まっている。山を歩きたい。
呼気吸気を新鮮に往復したい。人の往来が少し絶えてきた。ぽつりと忍路に菓子
工房を設けたjazzピアニストの田村誠次さんが立ち寄る。小樽に近く古くから開け
た港、忍路。オーラのある場所と言う。今年2月初めて訪れ感動し決断したと言う。
そうか、冬だったんだ。本ものかも知れないと思った。夏に昔キヤンプした事があ
った。グスベリを食べ過ぎて腹を壊した。ウニを潜って取った。深い色の海そして
秘境のような入り江。豊かな海産物。私には夏の思い出しかない。だから冬に
菓子工房を作ると決断したのはなにか凄いと思った。一度Mさんと来て下さいと
言ってフライヤーを置いて帰っていった。菓子工房の隣の建物も将来ライブスペ
ースにすると言っていた。忍路をテーマの曲をそこで是非聞きたいものだ。佐佐
木方斎展も村岸宏昭さんも関係のない人が来て、近況をどこかうわの空で聞い
ていた。でもそれはこっちの都合勝手で田村さんには大切な大事な話だった。時
間経って今頃感心しているのだ。こうして少しずつ熱い夏が薄らいでいく。ペンキ
の道具を借りにKさんが寄る。傘立ての修理だと言う。お礼にプラムを貰った。よ
く熟れて新鮮な果実の酸味甘味が胃に沁みた。夢中でかぶりついた性でズボン
が汚れた。汁が溢れたのだ。また染みができる。秋の予兆のように果実の水分
が口を満たし、心に触れた。秋は澄んだ水の季節かも知れない。このブログの
タイトルももう「秋のはなし」と変えようか、横浜の及川恒平さん、さっぽろは秋の
高気圧。そちらはまだまだ夏の高気圧でしょうけれど。

*’80年代の軸心 佐佐木方斎展近作「格子群」を中心にしてー9月10日(日)ま
 で am11時-pm7時(月曜休廊)
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by kakiten | 2006-08-30 13:11 | Comments(0)
2006年 08月 29日

蒼空を疾走るー夏のひかり(9)

夏はもう透明な秋の入り口を用意している。風の気配が告げる昨日今日だ。その
青空の繁みを一点の冥となって若い天馬が疾走り去った。また蒼空の冥い繁み
からもう1頭の天馬が疾駆し来た。その二頭の天馬が激しく交差するように今年
の夏があった。激しく交差し稲妻のように一瞬浮かび上がった天地に、開かれた
同時代の光る地平があったのかもしれない。そんな神話を残すようしてに8月が
終わろうとしている。佐佐木方斎展の延長を決断した今週の始まりにふとそんな
感慨めいたものが浮かんでくる。’90年代に入り表舞台から消えてしまったような
佐佐木方斎さんのこの10何年間が病床の現実があったにせよ今私にはいちば
ん近い存在として在る。フットワークの違い、カテゴリーの相違、資質の相違、そ
の外多くの面で生き方も相違しながら外に向かって<いつも開いていたい>とい
う一点に於いて私は今彼の感性のボールのキヤッチャーをする事ができる。ネッ
ト裏で直に球を受けない解説ではなく直に球を受け止めている現場のキヤッチャ
ーとして。受けて投げるのだ。延長の会期は同時に投げ返す時間の会期ともなっ
ていく。そして現在というホームベースを間に置いて時代の内外野を見据えていく
。そこに登場するだろう感性の打者とともに。
 
*’80年代の軸心佐佐木方斎展近作「格子群」を中心にー9月10日(日)まで
  am11時ーpm7時(月曜休廊)
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by kakiten | 2006-08-29 12:32 | Comments(0)
2006年 08月 28日

風立つー佐佐木方斎展の延長ー夏のひかり(8)

秋を感じさせる風が立つ。心地よい風だ。昨夕集中的に人が来る。石狩の阿部ナ
ナさんが村岸さんに気を取られて佐佐木方斎展をじっくり見ていなかったと言って
来る。「美術ノート」をひろげ読んでいると美術ノートでも特集していた銀河画報社
の関係の平川勝洋さんがご夫婦で来た。山田勇男の映画「海の床屋」の主役をし
た役者で寺山修司の天井桟敷にもいた人である。奥さんはここが初めてなので二
階とか吹き抜けを案内する。そうこうしていると村岸さんの伯母さんにあたる村岸
恵美さんが来た。会期中村岸家の家紋入りの袱紗を持って来た方である。あの時
は・・と言う話からもう止まらなく故人の話が次々と出てくる。そこへ藤谷康晴さんが
来る。佐佐木展最終日で搬出の手伝いに来てくれたのだ。村岸さんの伯母さんに
ふたりを紹介して今度は阿部さんと話が止まらなくなった。女性ふたりで延々と話
が続いた。私と藤谷さんは奥でビールと酒を飲んでいた。いつのまにか平川夫妻
は帰ってしまった。佐佐木展はこうして村岸宏昭追悼の場として重なりながら一応
の終わりの日を迎えた。しかしあらためて佐佐木展をじっくりと見に来る阿部さんの
ような人も含めて決して展覧会が無視された訳ではない。むしろ’80年代に生まれ
育った人達の関心も多いに呼んでいたのであった。まだ村岸さんの伯母さんのよう
に故人の想いから来る人は絶えないがそれでもそれがきっかけでここを訪れ佐佐
木さんの仕事に触れ新たな展開が生まれつつある事も事実なのだ。佐佐木さんの
仕事が時代をオーバーフエンスしているのである。同世代でなくとも同時代の<志
>が共感を呼ぶのだ。2月佐佐木宅に初めて案内してくれた花田和治さんが退院
してあさって来るという。これを機会に佐佐木方斎展は変則ですが9月10日まで
延長しようと思います。阿部守展の直前までです。阿部さんにも見て欲しいし、佐
佐木方斎展と繋げて行きたいからです。村岸さんの事で充分に観られていない人
も多いからもある。「美術ノート」全巻これだけでも是非目を通して頂きたい。

*’80年代の軸心佐佐木方斎展ー近作「格子群」を中心にして9月10日(日)まで
 am11時ーpm7時(月曜休廊)
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by kakiten | 2006-08-28 13:58 | Comments(0)
2006年 08月 27日

青と冥ー夏のひかり(7)

雲ひとつなく空が青く円く感じる。この青い空気層の向こうは漆黒の真空。そんな凄
みさえ感じる全天円く青いドームだ。九番目の惑星から除かれた冥王星の<冥>
の字が頭にあるせいかも知れない。青い空の背後の冥を感じるのだった。青空
のような<精神のラインダンス>(菱川善夫)を’80年代の「美術ノート」に触発さ
れながら同時に<冥>の存在を想っている。Mの死がそこには影響を与えている
のかもしれない。都市の光景と白樺。藤谷康晴展と村岸宏昭展。そしてその底流
のような’80年代を軸心とする佐佐木方斎展。この三人の一見別々の表象がこの
一ヶ月の間、からまり、ほぐれながらも大きなうねりのように存在している。そして
そこには私自身の生き方、来し方も反映され現在を映し出す。場をトランスとして
かかわる事でこの三人の展覧会は合流しラデイカルな時代の中心の流れに触れ
ていた気がする。来月九州から満を持して来廊する阿部守展でその流れがまた
いかなる加速を生むのか、’80年代北海道現代作家展に参加し’92年テンポラリ
ースペースで’03年同じく個展を開いた阿部守はこの間の一貫した立会い人でも
あるのだ。今回さっぽろの川と水をテーマにするというのも不思議な偶然でもあり
必然のようでもある。佐佐木方斎展が深めた同時代の流れが阿部守展の流れを
今ぐっと引きとせてあるように思うのは私の思い込みだけであろうか。今年二月か
ら歩きつづけて辿り付いたこの場の新旧の流れは単なる思い込みからだけで出来
た訳では、決してない。それにしても佐佐木方斎が「美術ノート」を一つの函にして
開いた意志は今日の青空のように円く高い。<やはり美術は、青黒い沼地に沈ん
で他の何かに隷属しているより、青空を疾駆する天馬のような世界であってほしい
と願う。そのためには他の表現とも積極的に交わっていかなくてはならないし、な
によりも美術自体に変な境界域をもうけないということだと思う。とはいえ、現実に
は、様々な価値付けや格差付けが横行している訳で、それ故にこそ、言いたいこと
が言えるような場が必要なのである。「美術ノート」はあくまで一地方の小冊子にす
ぎないし、どれほどの力があるのかも分らない。それでもやはり外側にはいつも開
いていたい。>(’85美術ノート№5編集後記)そして今<青空を疾駆する天馬>
は、’90年代の<冥>と重なり非公認の青い深みとなって、その青空を疾駆する
一人一人の天馬のような現在があるのかもしれない。そしてその個の現場からは
<どれほどの力があるのかも分らない。・・それでもやはり外側にはいつも開いて
いたい。>ー同じ言葉が発せられているのを聞くのである。
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by kakiten | 2006-08-27 13:01 | Comments(0)
2006年 08月 26日

雲高くー夏のひかり(6)

佐佐木方斎展も残り少なくなってきた。お盆の村岸ショックで追悼の人絶えず
私の心の整理も伴なって佐佐木方斎展に集中が出来ない面も多々ある。毎日
誰かが訪れる。みんな何かを語りたくて来る。一昨日の伊藤隆介さん、昨日の
田村陽子さん、山内慶さんそれぞれに重い想いがあるのだった。死が純粋化
する情念に生がいつまでも引きずられてはいけない。死が純粋化する想念に
生が従属してはならない。易々と死に明渡すのは生の過度の感傷、逃避なのだ。
佐佐木さん編集の「美術ノート」全10巻を読む。’84年9月から’86年8月迄
ほぼ二ヶ月に一冊づつ出版された平均7,80頁のこの雑誌は美術に於ける
北海道的地域の越境。表現の最前線の視点から特定な分野の越境。発表する
場の枠の越境。とこの時代の溢れるエネルギーの貴重な証言、記録となって
収録されている。北海道現代作家展を軸とした九州、韓国の作家との交流、銀
河画報社、駅裏8号倉庫を中心とした映像、演劇、舞踏、音楽等との交流、さら
に初の大規模な野外展となる「第1回豊平河畔野外展」の試み。そして道外の
群馬渋川野外美術展の情報静岡アートスペースの情報、ニユーヨークソーホ
ーの情報と表現の場の地域の枠を越えた貪欲なまでの探求が記されている。
特に初の野外展となった豊平河畔の活き活きとした座談会の佐佐木さんの発
言が何よりもその時代を象徴して輝いている。<どこまでもオープンにしたい
という願望がある。それと今回新しい試みとして田中眠の舞踏をオープニング・
パフオーマンスとして組み込んでみて、やはり、圧倒的に楽しいわけですよ。
だから、音楽であるとか演劇であるとか、工藝なども含めてどんどん多次元的な
空間にした方がいい。><-場の処女性というような、何か約束されていない所
に関っていきたいという願望があって、それは自分のなかで知らず知らずのうちに
」定化していく美術概念みたいなものを突きくずす、解体させていこうとした時、未
開の手ごわい場でこそ、それができるんじゃないかと。><(多くの人とやるという
のは)非常に複雑で分りにくい状況がでてくる。それをあえてやるというのは、一つ
の場を共有しあうことで生じる一種の雑種的トータリテイの構造を探る為でもある
と>これらの発言に集約される佐佐木さんの熱い輝きは今もそのコンテンポラリ
ーな冴えを失ってはいないと私は感じる。河川の使用に際し役所の人たちと交渉
する佐佐木さんの活き活きとした語りも1個人として快いものだ。取巻く現実が新
鮮な<生>として河畔に転がる石ひとつにもある感動をもって語られる。そんな突
き抜けた充実した時間がこの座談会の発言に集約されこの時代の佐佐木方斎が
いる。その四年後私は見えない川暗渠の界川を舞台に野外展を企画するのだが
そこに<都市>というキーワードの自覚と言う一点で佐佐木さんの河畔とは相違
した気もする。従って’90年代に佐佐木さんと会うことはなかったのだ。2006年
の今日、急死した一人の若い青年の個展が図らずも佐佐木さんの語った<多元
的な空間>を都市と自然を川を媒介に音楽と装置でビジュアルに表現していた。
そしてその死に多くの人たちが自分のことのように社会的死として捉えようとしてい
る。多くの人間に追悼され一個人の死のように語られている死の内側には作品を
媒介にして佐佐木さんのいう<トータリテイの構造>が今びっしりと詰まっている
ように私には感じられるのだ。個の感受性の内に’80年代の時代の感性が息づい
ているのかもしれない。
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by kakiten | 2006-08-26 12:44 | Comments(0)
2006年 08月 25日

空澄むー夏のひかり(5)

映像作家の石田尚志さんからメールが来ていた。<この春カナダに招聘してくれ
たスタジオの主催者が丁度今回の事故と同じ頃にカナダの川で溺れ、亡くなって
しまいました。(中略)カナダの映像作家達は今、本当に動揺しています。実は彼
が呼んでくれたことによつて、昨年の中森さんの個展で並べさせていただいた3
枚の「巻き物」がフイルム同士によって合成することが出来、やっと完成した矢先
でした。この秋、トロント国際映画祭に選出されワールドピレミアが決まった直後
でした。何かこの作品は、村岸君のギターで踊れた札幌の秋と、トロントの春を
大きく結ぶような追悼の作品になってしまいました。>
もうひとつiさんからメールが届く。<中森さんも夢と執念の美しいゾンビとして
よみがえり続けて下さい。>
私はバンビのようにしなやかに(誰が!)と思っていなかったがとうとうゾンビにな
ってしまつた。それにしてもトロントの春と札幌の秋を結ぶ追悼の石田作品是非
明年上映を実現したい。その折どこかで村岸さんの遺作のCDを流そうかしら。
そう想い、そう感じ、そうしたいと思う事がゾンビの復活のエネルギーです。淵の
ように溜まり溢れていく函のような場こそが身体であり心のボデイであり生きる証
なのだ。呼気と吸気の間にこそ力がある。札幌とトロントで起きたふたつの悲しい
事故が秋と春の季節を結び超え、太平洋の海を越える。人が人を想うことで、生と
死を超え溢れ繋がっていく。そんな時間を私は私の函で万華鏡のように目撃し立ち
会いたいと思う。だからここに立ち、歩き続ける。そんな力を頂いた気がするなあ。
村岸さんの白樺に込めた<志>もまたそこに生き続けるだろう。石田さんのメール
は次のように終わっていた。
<ー僕は来年春、横浜美術館と、横須賀美術館というところでそれぞれ新作を展
示することが決まりました。そこでの新しい仕事をしっかり抱えて、それぞれの港
から出航して、また伺えればと願っています。>
石田尚志さん、また会おうぜ!待ってます。

*'80年代の軸心佐佐木方斎展近作「格子群」を中心にー27日(日)まで。
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by kakiten | 2006-08-25 11:32 | Comments(0)
2006年 08月 24日

同じ方向をみるー夏のひかり(4)

昨日夕刻若い古本屋志向の吉成秀夫さん来る。一部運び込んだ本に目を輝かし
丁寧に見ている。本当に本が好きなのだろう。森美千代さんも来ていて写真展の
構想が纏まりつつあると言う。吉成さんもその写真を見て感心する。あらためて吉
成さんと一緒に見るとまた違ったよさが目につく。カラーで撮った白黒はセピア色
になり沈んだ空気感が出て落ち着きの中に緊迫感がある。得意の二重露光も不
思議な風景を作って真冬と晩冬の季節の光がいい。すっかり自信を貰って森さん
が帰った後ひとりの女性が入って来た。佐佐木芳斎展の関係でもなさそうに感じ
聞くと村岸さんの先輩の大学院生という。塚崎美歩さんという方で話すと吉成さん
と共通の友人もいていろいろ話になる。運び込んだ吉増さんの資料や大野一雄
の資料やら見せると目がキラキラしてきた。三人ですっかり話し込んだ。ただ村
岸さんの話になると目が潤んでいた。まだ彼のホームページは開けないと言った
。聡明で感性豊かな人だった。今朝はTさん姉妹が来て佐佐木方斎さんの事で
ゆっくりと話していった。Tさんは佐佐木さんに近い関係の方でこの間作品の仕上
げや過去の事など種々陰ながら支えている人だった。Tさんより早く気功の講習
にAさんが来ていたが肝心の気功の先生が見えない。熊谷透さんすっぽかしで
すね。TさんAさん帰って間もなく丸島均さん来る。佐佐木さんの資料をじっくりと
見た後'83年制作の「格子群」を箱から取り出し丁寧に見出した。23年前の作品
だが少しも古くはない。刷りも綺麗で新鮮だった。壁に展示してある今年の作品の
原点となる作品である。一枚一枚めくりながら丸島さんの目線とともに見ていると
一人で見ている時とはまた違う見え方がするのだ。純粋な美しい作品群であること
をあらためて感じた。色彩も新作のものよりしっとりと紙に馴染んで落ち着いている
。そして一枚一枚捲りながら見るのもいいのだ。丸島さんとこんな風に話しながら
同じ作品をみたのは初めてだった。いい時間だった。「星の王子さま」の時間だね
。ー見詰め合うことではなく、同じ方向をみること。一人の視線より世界が余裕を持
ち豊かになるんだなあ、きっと。丸島均さんなのであえて枕の言葉は省きますが。

*佐佐木方斎展'80年代の軸心近作「格子群」を中心にー27日(日)まで
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by kakiten | 2006-08-24 16:43 | Comments(0)
2006年 08月 23日

湿度高くー夏のひかり(3)

朝ギヤラリーに着くともうシャッターが開いている。テーラーさんが開けてくれて
平松和芳さんとババッチが来ていた。一昨日の新聞を読み佐佐木方斎展を見に
来たのだ。現在栗沢町美流渡のスクラップアート美術館で先に佐佐木展を開催
しているオーナーのババッチさんと作家の平松さんである。しばし昔話佐々木さ
んの近況等で話する。そこへ詩人の界ゴッホさんが来る。相談することあって種
々話す。みんなが帰って昼のお握り買いに出てぱくついていると声がした。糸田
ともよさんと香妃さんが来た。二人揃って来るのは初めてだ。及川さんのホーム
ページに連載中の「葉脈手帳」の取材の途中だという。いつか展示して及川さん
もよびましょうと話す。二階の吹き抜けの上がりキャキャッと声を上げる。怖いと
言いながらも面白がっていて女性の好奇心は複雑である。そこへゴッホさんが
戻ってきて外で話をする。地面にしゃがんで話す。カンコーヒー片手に話す。通る
人が挨拶したり見ていく。いい大人がしゃがんで話をするのもなんだなあと思った
がそれもしょうがない。糸田さんたちが出てきて若いわあと声を出す。ゴッホが
髪を白く染めていますからと混ぜ返した。酒井博史さんが来る。変な顔して見て
いた。ゴッホさんが帰って酒井さんとまた曙の話や村岸さんの話になる。そういえ
ば村岸さんのCDを買った人がサインを頼んでそこに書かれた日付が神無月と
書かれていてその月日が逆算すると四十九日にあたると言っていた話を酒井さ
んにすると一瞬暗い顔になった。七月は文月で何でだろうと疑問は尽きない。
村岸神話が続くなあ。やだやだ。神無月にお参りに行こうかと思う。同じお盆の日
佐佐木さんのお父さんも亡くなったと今日聞いた。今年のお盆は変なお盆だ。そ
してまだ暑さが続く。

*佐佐木方斎展ー'80年代の軸心近作「格子群」を中心に27日(日)まで
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by kakiten | 2006-08-23 15:35 | Comments(0)
2006年 08月 22日

雨激しくー夏のひかり(2)

昼から雨激しく降る。一昨日中川潤さん賀村さん宅より預けてある資料その他
一部運んでくれる。もうそれだけでカフエスペース満杯になる。各作家の資料
整理する。川俣正、安斎重男、大野一雄、吉増剛造久し振りで少し懐かしい。
花器剣山類もある。やあっと重く大変だ。まだまだ一部なのだ。佐佐木方斎展
と同時なので気が張る。昨夜の道新夕刊に展覧会評載る。好意的に私の名も
載る。まだあまり表には出たくはない。なんせ被告ですからね。こちらは暗渠の
川見えない川で溺れているようなものだから。M君は見える川で溺れたが、私
は社会という人間の環境の作った見えない川でアップアップなのだ。社会構造
の様々な装置が波浪となって押し寄せてくる。電気切ります、電話切ります、ガ
ス切ります。住む所も施錠します。お金という浮き袋の空気が薄いと次々とこの
社会の構造は容赦なく人を沈めにかかるのだ。社会的経済的に健康であった時
にはなんとも思わなかった事がひとつひとつ牙を剥いてくる。個人としては不健
康とは思っていないが社会的には不健康なのだ。白いベンツにカウーボイハット
の人の方が健康なのだろうね。某デパートのギヤラリー担当の業者さんが言っ
いたっけ。「中森さん、お金できたら来てよ。」お金なくても行きましたけどね。買
い物でなく人に会いに。暑さ和らいで少し皮肉も言えるようになったのかしら。
社会の生命維持装置というか延命装置というかそのギリギリに立つと別の前線
でやはり同じようにしかしもっと肩の力抜いてたおやかに立っている人も見える。
年齢は関係ない。ただいい仕事をしようとしているか、しているかだ。私にはそう
見える。雨が上がり日が差してきた。水溜りが光っている。またそろそろ資料の
整理しなくちや。

*'80年代の軸心佐佐木方斎展ー近作「格子群」を中心に
  27日(日)まで
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by kakiten | 2006-08-22 14:00 | Comments(0)