テンポラリー通信

kakiten.exblog.jp
ブログトップ

<   2006年 06月 ( 13 )   > この月の画像一覧


2006年 06月 30日

暑い日ー界を生きる(8)

陽射しがギヤラリーいっぱいに溢れている。壁面が白一色の性もあり眩しい。
窓を開けると風が通る。風も陽射しも面で入ってくる。通りの向こうはキヤンパス
であまり遮蔽する建物がないせいか、風も陽射しも伸びやかなのだ。近くの食堂
もそうだ。中華、カレー、洋食、蕎麦となにか空間も広く、安く美味い。主人も年配
女性が多く客も老若さまざまだ。妙にトレンデイだったり通ぶった店がない。学生
が多い街という事もあるだろうがやはり私には北大の敷地の保つ広さおおらかさ
が風土のように影響しているように思われた。駅前ゾーンのブランドショピング街
にも近いのだが北大構内に点在する原生林の面影を残す樹木、農場の広がり
等が暮らす人の気質にも影響しているように思えるのだ。お店の経営者もなにか
話し掛ければ気軽に世間話ができそうで気取りが無い。夜の店もそうでいつかの
焼き鳥屋さんの女主人秀さんもそうだった。「子の付いてないのが恥ずかしくてね」
といっていた人だ。まあその分しっかりとこちらも見られたいるのかも知れないから
いつもペンキだらけで鉢巻をした得体の知れないオジサンと思って話し掛けたの
だろう。なんせ中川潤さんと一緒のことが5月は多かったからね。今は服装も普通
になり独りで行くのであまり変には見られていない気もするが・・・。昼は特にドカ弁
系の私には大変良い。量が多いのだ。美味くて。美味くても量が少なくお代わりす
るのもなにかという店は円山近辺にはあったがここではその心配はない。
食べる物も陽射しも風もいっぱいで、あとはいい作品といい仕事が溢れればいい。
ポケットのお金は少ないけれど。

*藤谷康晴展「常温で狂乱」7月4日(火)-16日(日)am11時ーpm7時
*山岸宏昭展「木は水を運んでいる」7月18日(火)-30日(日)am11時ーpm7時
[PR]

by kakiten | 2006-06-30 14:55 | Comments(0)
2006年 06月 29日

自転車に乗るー界を生きる(7)

最近もらった自転車に乗っている。サイクリング用の前傾姿勢の型なので
早いけれど腰の位置が高く周囲をみるのには余裕が無い。ママチャリの方が
安定して荷台もあっていいと思った。やはり道具を使うと早いが風景が違う。
道も選び対向する自転車、自動車、人に気を使う分目的地に着くのは早いが
立ち止まる妙味は無いのだ。筋肉の使い方も違うようで足の張りの位置も違う
。子育て時期のカラスに襲われる率は自転車の方が少なく歩いていて二度ほど
頭の上を襲われたが自転車の時はすぐ諦めていった。早いのは便利だがその
分なにかを捨象していく。しかし昔の人の諺の「魂は千里を走る」というスピード
はその速さとは違って時間と空間をこえる速さだ。先日何十年ぶりかで東京の
友人に電話し苦境を話したが即翌日面倒を見てくれた。この時学生時代の共
に語り共に悩んだ様々な時間が一気に何も変らず存在して”じゃあまたな”と
いって別れた昨日の続きのように今日があったのだ。お互いにきっと面と向き合
えばそこに歳月の違いを見る事はあるだろうが、魂は正に千里を埋めて昨日の
友がいるのである。もしそういう時間を形にすることができるならそれが音であれ
絵であれ彫刻であれ詩であれその時間はある結晶をしてキラキラと存在する
だろう。六番目の身体のように。五体五感の上にファインという虹を架けて。
自分が10代後半から20代前半にかけてひたすら生きてきた基軸のようなもの
が今も基本的に変らずつながつてつていることに改めて気づく。その後私のブロ
グを全部通読したその友人からメールが届いた。<昨晩は「テンポラリー通信」
を通読して、しばし茫然!だけど「通信」が現在進行形なので、安心した次第。
身体の方も労わらないと、マイツテしまう。(中略)ともかく健闘を!>

*藤谷康晴展「常温で狂乱」7月4日(火)-16日(日)am11時ーpm7時
[PR]

by kakiten | 2006-06-29 12:14 | Comments(0)
2006年 06月 28日

都市の光景ー界を生きる(6)

来週から始る藤谷康晴さんの展示が続いている。ギヤラリーのかって鴨居だっ
た部分に南一条通の西三丁目と二丁目南側ショピングビルの建物だけの細密
画が三方の壁にぐるりと展示された。椅子に座って見上げると街が芝居の書割
のように見える。人は描かれていない。ビルの外壁と舗道だけである。いつか写
真展で夜のコンビニエンスストアだけを写した写真を見た事があったがそれも
明るいが人のいない建物だけのものだった。普段人が集まっているはずの所が
実はだあれもいない光景として表現され捉えられている。現実の光景と内面の
風景がそのようなギヤップを保ってるのだ。札幌で一番に繁華な場所を人のい
ない建物の外壁と舗道だけで細密でリアルに再現されるとそれはもうなにか別
次元の不思議な風景になりそれを下から座って眺めるとそれはまるで蜃気楼
のようにも見えるのだった。かっての鴨居の上はかっての二階の和室の構造が
吹き抜けの上にありそこもまた透視された空間となってショプピングビルの外壁
の上に広がっている。時の縦軸の時間差を空簡にいながら同時に経験している
のだ。コンビニを撮影した人もこの藤谷さんもともに20代前半の若い人で彼らの
醒めた観察眼は私には深く共感する部分が多い。私の場合はそういう現場を生
きてきたわけだがコンビニやパルコ世代の人がある面で同じような冷静な醒め
た視線を保っていることに吃驚もし嬉しく頼もしくも思える。この展示は2階から
見下ろすようにも眺められ見る視座によって様々な様態を感じさせるだろう。空
間が展示というインスタレーシヨンによって作家の意図がよりクリアーになり予期
せぬ発見が生まれる。そしてそのことを誰よりも興奮し喜んでいるのは勿論作家
自身なのだ。ギヤラリーという函(箱ではない!)はトランス状態となり経由し変電
し乗り換えていく空間となる。だからきっとこの後もまだ展示の興奮は続くだろう。

*藤谷康晴展「常温で狂乱」7月4日(火)ー16日(日)am11時~pm7時
[PR]

by kakiten | 2006-06-28 18:29 | Comments(0)
2006年 06月 26日

歩き人児玉さんー界を生きる(5)

いま以前の仮事務所だった熊谷透さんの所に世界中を徒歩旅行している
児玉文暁さんが逗留している。私はまだメール便やカタログ等が届いたり
朝晩ここまでの通勤途中に寄るので自然と児玉さんと顔を会わせる事が
多くなった。彼は四国徳島の出身で平成7年からヨーロッパ、南米を3年半
かけて徒歩旅行に出てその後ニユージーランド、オーストラリアの旅を終え
現在日本を歩いている。「歩き人ふみの徒歩世界旅行」という著書を出版し
ていて一冊戴いた。歩く場所も歩く範囲も私とは全然違うのだが何度か話し
ている内に気が合ってきたのだ。一度一緒に円山からここまで歩いたが風
景の変化特に北大農場の風景に感心していた。酒井博史さんの落款ライブ
の打ち上げにも熊谷透さんと来てくれて酒井さんが「ビユーテイフルサンデ
イ」を唄って熊谷さんが踊りだした時は彼も一緒に踊っていた。この時熊さん
は変な幅広の帽子を被っていたがそれが妙に似合ってその時ついた仇名が
サンデイー熊谷とラワンブキトールだ。あの1メートル80センチ位あるラワン
ブキの下にいれば小柄な熊谷さんはコロポックルみたいにみえると思いつけ
られた。そしてこの仇名は結構受けたのだ。気功の先生は同時に悪戯好きの
妖精でもある。ヨーダまで枯れてはいない。それに引き換え児玉さんは人と人
の距離感が透明である。歩きつづけている人の自然な所作振舞いなのかも
しれない。大きな3メートル位のアポロジーの笛を持っていてユーカリの木の
内部をシロアリが空洞にしてしまった物である。ボーっと大きな豊かな音が出
る。そいつを担いで徒歩で旅をするのは大変と思うが本人は苦にしている様子
が無かった。さらに恵庭でインデイアンフリュートの笛まで買ってこれは小さ
いものだが大小の笛を揃え御機嫌のようだった。彼はスナプキン系なのかも
しれない。私自身はさっぽろから出て歩いている訳ではないのだが、<歩く>
行為が他の<歩く>を呼び寄せるように経験している。きっとそれぞれの旅な
のだ。これもひとつの<TRANS>なのかもしれない。九州の美術家阿部守
さんから連絡があり9月13日から鉄と札幌の川の水をテーマに個展をしたい
と言ってきた。彼もまたこの場所に滞在し美術という行為を通して<TRANS
>を見る人と一緒に経験していくだろう。来週から始る藤谷康晴さんの個展中
児玉さんの歩くレクチヤーライブも頭に浮かんだ。「街路」をテーマにした藤谷
さんの展示はこの場所にはピッタリのものである。昨夕一部を展示しながら
作家にとってこの展示するプロセスこそがライブなのだと思った。搬入では
ない。何処にどう置くか、何処でどう見せるか、この過程にもっと見る方も関り
その時間をもっと持つべきと思った。これも<TRANS>の時間なのだ。ここ
を短絡にすると只の展示になってしまう。展示する行為も作家の日程にきちっ
と組みトータルで個展としなければいけないと思う。今流行りのレジデンスとい
う言い方とも違う。展示する行為自体をもっと積極的に会期に繰り込む事だ。
その時作家と見る人は作品を通して共通の行為、共通の眼差しを共有して
くる。それが展覧会という経験を生むのだ。共に会期中歩くのだ。それをギヤ
ラリーというのはゴルフの観客をそういうことに今ふっと気がついた。
[PR]

by kakiten | 2006-06-26 14:43 | Comments(0)
2006年 06月 25日

杖を突いて大橋さんが来たー界を生きる(4)

先日病院を抜け出してプラハの大橋拓さんが来た。足に血脈の不足する病気
とかで歩行が困難になる病という。杖をつきでも元気そうだった。彼は旧病院の
建物にフリースペースプラハを作り主に若手のアーテイストのコーデイネーター
として道外国外の作家を招き活動してきた人である。谷口顕一郎さんや河田雅文
さん野上裕之さんも彼のプラハプロジェクトの一員だった。昨年の7月でプラハの
建物を閉鎖し今は旧曙小学校に仮拠点をもっている。今のテンポラリースペース
の床板壁板などは前のプラハの建材を利用させて頂いている。ともにある時期
さっぽろのアートシーンを創ってきたある意味で同志のような友人である。時間の
多少のずれこそあれどちらもそれまでの拠点を失い新たな場を求めていた。そして
今大橋さんの前のスペースの建材がこうして再生している場所に彼が足を踏み入
れてくれた事はとても嬉しかった。<お役にたって嬉しいです・・>といってビールと
焼酎の差し入れで飲みだした。一緒に来た小牧さんという写真家は以前ここのプレ
オープニングの時に写真を撮影していてこれがモノクロの傑作写真だった。高臣大
介さんか吼え酒井博史さんが歌い村岸宏昭さんが演奏している。聞く中川潤さん
のうっとりとした表情やテーラー岩澤さんご夫妻の楽しそうな顔、久野志乃さんや
高臣亜紀さんの美しい横顔二階の空簡に鳥のように座っているその他の人たちと
あの時のあの場の雰囲気を見事に写していた。そんな3人で大橋さんの病状の話
や今後の話をしながら飲んだ。私は歩いて今の場所を探し充てた。彼はその足が
病んでいる。そして以前の場所の想いにまだ少し囚われているように感じられた。
以前の建物は来月壊されると聞いた。もう一年近く経っているし大橋さんはまず体
を建て直しこのさっぽろという場をもう一度見詰めて欲しいなあと思った。建物以前
に自分の体とさっぽろという身体の病と闘って欲しい。それは今なのだ。しかし彼
と私は年齢も経歴も違いギヤラリーの在り方も違うのだが、共に同じ失意を生きて
いるとどこか感じているのだ。あの時外出の門限がきて病院に帰る大橋さんの背
に<じやあまた!>と送った声に篭もったエールが届いたかしら。
[PR]

by kakiten | 2006-06-25 15:27 | Comments(0)
2006年 06月 24日

晴れた日ー界を生きる(3)

久し振りに青空が広がる。今日も快調に歩く。琴似街道から卸売り市場の東側
を通り桑園を経て北大農場に入る。昨日までの雨で土の道は水溜りが多い。や
っと飛び越え損ない泥だらけ。まあいいか、草で泥を拭いなんとか応急処置。
堆肥の匂いがして鳥が飛んだ。工学部の前から銀杏並木に出て構外に出る。
この銀杏並木も結構な距離である。秋はきっと綺麗だろうなあ。ハルニレの大木
が北大の構内には多くてさっぽろ本来の森の姿を残しているが、銀杏の木は本
州からの移入と聞いた。琴似川の終わり伏古川との合流地点龍雲寺の大銀杏
は見事だった。そういえば苗穂の法国寺にも大銀杏があった。お寺や旧家の庭
に多い木である。水分が多く防火に効用があると誰かに聞いた。銀杏や羊は近
代以降の札幌の動植物の象徴なのかも知れない。さっぽろがかってエルムの都
といわれたことなど知らない人が今は多いから、このエルムの樹ハルニレの樹
の下にたまに身を置くといいと思う、雄大な伸びやかな世界が拡がってくるから。
北大の第二農場に保管されているエルムの鐘は北大の敷地が有していた自然
の象徴さっぽろの森の象徴なのだと思う。その鐘の音はとても澄んでいい音が
した。エルムトンネルの傍にある第二農場は整備されちよっとショウルームぽく
なっているが映画「風と共に去りぬ」の場面に出てきそうなアメリカ式の農場で
ある。樹と芝生と木造の厩舎等の風景がいい。さっぽろの近代は正しくここから
始ったと思える。その「洋」の風景は街にも洋館として公共の建築物や富裕な個
人の建物にも普及していったのだろう。その近代の和の職人と洋のデザインが
格闘し創りだした日本独特の「洋館」建築の原型のひとうがここにあると思われた
。それも環境ごと保存されていて小熊邸のように建物だけを移転保存しているの
とは違う。旧帝国大学という官が結果的には植物園や構内を大きな規模で守り
保存する事ができたのだ。民の側の街はどんどん破壊され近代の優れた洋館
は消えて喪われているのだから。ハルニレの樹も銀杏の樹もまた同じである。
今、広大な北大構内に沿って伸びる斜め通りにテンポラリースペースを定めた
事によって毎日さっぽろの本来あった自然と近代そして現代を往還する小さな
旅をしている。円山では界川という小さな見えない暗渠の川がその旅を可能に
してくれたが、今この地域では平野部の森の面影がそれを可能にしてくれてい
るようだった。そして四次元の光回線の世界に文章を置きながら三次元の空間
の界(さかい)を徘徊している今の自分がいる。
[PR]

by kakiten | 2006-06-24 13:28 | Comments(0)
2006年 06月 23日

川の流れー界(さかい)を生きる(2)

今日は朝から曇り空で雨となった。雨の中を歩いて昨日とはまた別の道を
辿る。農場の土の道を今日は避け北大国際交流会館横の北大苗園の横を
通る。そこからサクシコトニ川沿いに構内を歩いた。桑園地区もそうだが低い
土地の傾斜した地域に公園や学校が多い。きっと私有地ではなくかっての川
や沼だったゾーンだからだと思われる。その窪みや土地の傾斜地に樹が多く
風も流れている。transparentが透き通るという意味なら川もまた大地の
異なる地層の狭間を透明に流れている存在かもしれない。ふたつの異質な
凹みの間を<trans>していく川とはある意味では私が考えているギヤラリ
ーのように思える。わたしにとってギヤラリーとは表現する人が<trans>す
る装置のような場である。従ってそこはただの展示とは異なる。exhibitionの
<ex>が外へ前へを意味するのは多分transの意味と深く関わっている。
乗り換え駅や変電装置にもtransが使われているように何かが革っていく場
なのだ。人間の内部と外部がつながってその間を川のように流れている透明な
現在形。その流動しながら留まっている場を仮にギヤラリーと呼んでもいいと
思う。雨の中を歩きながらそんな事を思っていた。親しい協力者に経営者とし
て詰問された答えにはなりもしないが少なくとも自分が今の生活形態を選んだ
意思はそうだ。経営とは利益を追うレールを牽きその汽車に乗ることだ。道も
車の道と川に近い道とはそこのあり方が違う。そして生きることはそのふたつ
の道の狭間を生きる事なのだろう。もうひとつの界が人間にはある。
[PR]

by kakiten | 2006-06-23 13:46 | Comments(0)
2006年 06月 22日

道を歩くー界(さかい)を生きる(1)

尾道から野上裕之さんが一時帰札している。私と酒井博史さんが会ったのも
昨年秋の椅子の彫刻を展示していた野上さんの個展がきっかけだった。その
会場に酒井さんが訪ねてきたのだ。野上さんは二年前のテンポラリースペース
でもいい個展をした。それは作家としてひとつの転機になったと思う。今年1月
ちようど引越しの頃モエレ沼公園の野外アートに参加していてそこにテンポラリ
ースペースの軒下の大きなツララを展示に使うといつて運んでいった。つららは
今は駐車場となっているのでもう2度と見る事が出来ない。その25年目のツララ
を自分の作品に使おうと思ってくれた彼の気持ちが私には嬉しかった。その後
尾道の民家プロジェクトに参加し札幌を離れていたが9月メキシコのアートプロ
ジェクトに参加する為パスポートの申請に札幌に一時帰ってきたのだ。酒井さ
んの落款ライブでも自分で石に「裕」の字を彫り込んでなかなかの出来映えだ
った。その折まだ未完の二階資料室の棚を造ってもらう約束をして今日から
作業に入る予定だ。賀村順治さんの家にお預けしたままの資料、本はこの棚の
整備が出来ないとまだ運べない。賀村氏には申し訳ないままなのだ。その賀村
さんから朝電話があった。車から朝歩いているのを見たという。北大農場に入る
前の車道を歩いていた時らしい。最近は円山から桑園を経て北大の第一農場
を横切ってここまで通っているがその途中の風景の変化が面白い。まず風が
違う。ビルの街角の道は風も鋭角的で樹や野原が多いと風も穏やかになる。円
山、桑園地区は鋭角的な風が多くなってきた。ただ木造の家や庭の樹のある一
角はふっと空気が変わる。北大の農場に入ると西の山並みはパノラマの状態で
手稲連峰から藻岩山までが一望できる。土の道が続き雲雀が鳴いている別世界
となる。市街地から田園地帯へとその劇的な転換が経験できるこのコースは最
近気に入っている道である。また桑園駅近くから入る北大交流センターの森は
本来の森の面影を残していて木々の香りが違う。ふっと山の中の空気が漂う。
そこから石山通りの車の道を渡り農場の中へと入ると土の香り堆肥の香りに
包まれる。このさっぽろの経てきた自然と社会環境を垂直に体験するような道
は歩く事でさっぽろの位置する界(さかい)を辿る事でもあるようだ。
  
[PR]

by kakiten | 2006-06-22 12:05 | Comments(0)
2006年 06月 20日

界目(さかいめ)を生きるー斜め通り界隈(5)

ここに来てはや一ヶ月以上たった。荒業の改装工事そして今はソフトの部分
が目に付く。二階の資料室はまだ未完、外回りの整備、看板とする事はまだ
まだ多い。展示も予定していた3人展が作家の家の事情で流れ今月は空い
てしまった。物を売るのと違って空間を満たす場なのでこういう時はシンとし
てなにもない。7月は今シンクガーデンで個展をしている藤谷康晴さんと村
岸宏昭さんの個展が続く。空間を造りふっと訪れたこの空白の時間は自分
自身を見詰める境目のような時間と思える。そう悠長なことは勿論言っては
いられないのだがやはりそういう時間に思える。仮オープンしたその日頃か
らネットが途絶えブログやメールを通した窓は光回線の帝国に封鎖された。
その見えない巨大な通信機構の谷間で皮肉な事に私が発しようとする言葉
も着信という光も共に奪われたのだった。かって市街地再開発という法によ
って道が拡幅され家屋はビル街となり、最近は住のビル群に追われるように
美しい白樺と蔦のある窓の店を去り、今またみえない通信の帝国の支配
する狭間を経験している。そういう運命なのだろうか、いつもある境を生きて
いるようだ。運命というより対峙する価値観の接点を生きているのかもしれな
い。少年時代は父と母の価値観の違いの中で悩んだ。最今はそれが自分の
内側でやっと統一されつつあるのを感じる時がある。英語で透き通るが<tra
nsparent>と誰かに聞いた時あっ!と思った。両親がペアレントならそれに
トランスという変圧機が関わる事でもうひとつ別の存在が成り立つ。その事
が透き通るという言葉に転位されると知った時すごく楽になった自分がいた。
父さんも母さんもぼくは透き通ることができましたよ、なんかそんな気持ちが
して嬉しかったのだ。<媒介>とか<実体>とか哲学用語で惹かれていた
言葉がもっと単純にすっと納得できたのだ。時に英語のもつ即物的な語法は
えらく物事を明快にしてくれるのだ。多分遠く父母から始ってふたつの価値
観の谷間をずーつと生きてきたのだな。その境に引き裂かれつつそこから
透き通るように自分が自分らしくなっていくその場をずーつと探し続けてきた
のかもしれない。探すというか少し格好つければ闘ってきたともいえる。だか
ら基本的に生き方の基底にそうして矛盾を抱え込み苦しみ外へ開こうとして
いる人には深い共感をもって接することが多い。他人事ではないと思えるか
らだろう。色々な表現の分野があってもその基本にはその共感を透明な木霊
のように保ちそこから同じ時代を生きるconーtemporaryな視線を形にしたい
と思うのだ。
[PR]

by kakiten | 2006-06-20 14:48 | Comments(0)
2006年 06月 19日

8時間半彫り続けるー斜め通り界隈(4)

午前11時から午後7時半まで休みなく彫りつづけていた。それは職人魂とで
もいうべき集中力であった。熊谷透さんの気功の会の「風の舟」に始まり最後
の久野志乃さんの「幸」までずーっと彫りつづけ会場は見守る人も含め人の
切れ目がほとんどなかった。壁に捺印の試し押し完成印が貼られどんどん増
えていった。最後の「幸」の判の完成を待ちかねたように大家の岩澤さんの釣っ
た宗八鰈の揚げ物や奥様の焼きそばその他みんなからの差し入れが出され
乾杯、ご苦労様でビールが開いた。それからは10数人がわいわいと酒井博史
さんの1日を祝い慰労した。酒井さんは疲れはないと言っていい顔で笑ってい
る。ただ奥歯の食い縛る顎の付け根が痛いと言っていた。集中した時に歯を
噛み締めていた性だろうと思う。彼の落款彫りのライブは改めて人の手の技
が保つストレートな迫力物を造る素朴な感動を見る人に与えたと思う。いい時
間いい1日だった。4月下旬から改装工事に入りその間ともに労働した仲間が
この落款ライブを盛り上げていた。自然とそういう友人たちがコアとなっていた。
そしてハンコ屋酒井を応援していた。これからも何処へいこうとその磁場が彼の
地場となっていくに違いない。光回線に変えインターネットは回復したが5月12
日以降6月16日までのメール受信分はすべて失われていた。ADSLのメタル
回線で受信していたメールは光回線に切り替えられると同時に捨てられついに
見る事が出来ないのだ。プレオープンのご案内を出した後メールを送っていた
だいた方々には大変失礼をしたことになる。ご返事を出せないでいたのはそう
いう事情です。この場でお詫び致します。同じNTTなのにひどいなあほんとに。
大口の北大というゾーンに近い性かこの周囲は光ケーブル化が完了していて
それ以外は一切入れない4次元の帝国が存在しているのだ。北大の広大な
敷地に沿って斜めに伸びるこの界隈が保っているもうひとつの界(エッジ)で
ある。北大農場のもつさっぽろの原風景にぴったりと寄り添うように観えない
経済の帝国主義が張り巡らされていたのだ。これもいい経験だった。ハンコ
ひとつ手で彫るように自分もまた自分の身体ひとつでここでさっぽろを刻みつ
づけていく、それは人と人が新鮮に出会う空間という名のギヤラリーを続ける
事で自分が自分に架した仕事なのだと思う。開き、広がっていく精神の軸足は
自らの身体性と地場から発しようとするが<お客様のお住まいの地域はすでに
電話回線の光ケーブル化が完了>という非身体性の現実と日常的に向き合い
対峙している毎日をも併せ持っているのだ。少し疲れた頭で分析する今の自分
がいる。
[PR]

by kakiten | 2006-06-19 12:49 | Comments(0)