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2006年 04月 30日

ペンキだらけ、埃だらけー燃える街角(13)

2階吹き抜け部分の天井、壁、柱のペンキ塗りほぼ終える。ただし下塗りである
。下澤トシヤさん手伝いに差し入れ持って来てくれる。酒井博史さんも白いつな
ぎを着てペンキ塗り。村岸宏昭さんもくる。河田雅文さんも。みんな白いつなぎを
着てゆらゆらとペンキ塗りだ。中川潤さんひとり電線の配置に黙々。その内村岸
さんの持ってきてくれたレールに電気が通りぱっと灯かりが点った。真っ白い吹き
抜けに灯かりが映える。”それらしくなってきたなあ”と中川さん呟く。下澤さん帰っ
た後陶芸の河合利明さん来る。さらにペンキ塗り。歯科技工士の上木章一さん顔
出す。最初白いつなぎにマスクの私に気づかず”居りますか?”と尋ねる。家主の
岩澤さんも顔出し鼠さんの話をするとちよっと吃驚してあの福鼠、大黒鼠を覗いて
いた。夜8時半過ぎみんなと別れる。酒井さんの車で定食屋さんを探すが祭日で
やっていない。結局東屯田のラーメン屋でチャーハンと餃子を食べる。最近野菜
不足だなあ、キチンとしたお味噌汁おひたしなどついた食事がいい。24日から約
1週間突っ走って少し疲れた。オープン展示はやはり高臣大介さんのガラスをお願
いした。毎年冬と夏の展示だったから今年は5月で少し早いけれど、やはり大チャ
ンでしょう。明日は棟梁中川さんニ風谷行きで留守。私も休みます。久し振りにお
風呂に入りたいな。髪茫々、靴も上着もペンキだらけ。顔は埃だらけ。心は誇りだ
け。そういえば近くの焼き鳥屋さんのおばさんは何やと思っているのだろうか。いつ
もおしぼり真っ黒にして飲んでいるから。子のつかないヒデという名が昔は嫌でね
と言っていた。家のお袋も不三(ふみ)という名前でこっそり不三子と子を付けてい
たっけ。でも今は子の付かない名が多いからいいんじゃないですかと笑っていた。
この界隈には円山にはない雰囲気がある。老若男女気にしなくていい。
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by kakiten | 2006-04-30 14:12 | Comments(0)
2006年 04月 29日

ねずみさんとお札ー燃える街角(12)

2階天井部分を抜き露出した吹き抜けの壁、柱部分のペンキ塗りに入る。吸込み
が多くすぐにペンキの色が褪せる。そうこうしていると下で配線の整理をしている
中川さんが声を出した。来いよと言うので降りていく。古い配線が何回もの模様替
で複雑に絡み合いひとつひとつ確認しながら必要な配線に絞り込んでいく作業は
結構地味だが大切な基礎作業である。タイガーボードの下に砂壁がありこれが本
来の家の原形である。その土壁と後の時代のボードの間から電線のようなものが
延びている。”引っ張ってみれ”というので一瞬手を伸ばしたが、妙に生っぽく感
じ思わず手を引っ込めた。死んだ鼠の尻尾だった。ボードを剥がすとフンが多量
に出てきた。大きな鼠だった。二十日鼠かと思ったが白く大きい鼠で福鼠と言うらし
い。ここの主だったんだろうなあ。タイガーボードに挟まれて土壁との間で逃げ場
なく死んだのだろうか。さらに天井に近い部分のボードを剥がすと欄間の柱にお札
が貼ってあった。「家内安全」とか書いてある。そういえば昔そんな光景をよく見た
気がした。もともとは和室で床の間のある部屋だったと大家さんが言っていたから
その後洋服の製縫場やお弁当屋になってその都度改装し建材も時代を反映し上
から被さるように在った訳だ。白い福ねずみはその犠牲である。建物の建材の違
いはそのまま近代と現代の違いでもありその狭間にあったねずみさんの死骸は暗
示的であった。玄関の陽光のあたる所に置いて弔った。鼠と雀はこうして見ると似
ているなあと思った。空に雀消え、地に鼠消え時代は一体どうなっているのかと思
う。福鼠といわれ、大黒さんが担ぐ袋に寄り添っている白いねずみもかってはつい
最近まで人間と親しい生き物であった訳で雀の鳴き声で朝目覚める事も最近減っ
てしまった。図らずも今回一軒の家の歴史に立会いいい時間の経験を頂いていた。
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by kakiten | 2006-04-29 11:33 | Comments(0)
2006年 04月 27日

もう四合目ー燃える街角(11)

どんどん行く。中川さん棟梁に河田さん清治さん四人で仕事進む。金井孝次さん
差し入れビールとジョージアコーヒーワンケース頂く。熊谷透さんと同居の流星舎
という企画会社の友人である。書店を営む小杉山竜一さんくる。早々とお祝い頂く。
森美千代さんと松信雅子さん来る。サザエのお握り差し入れ。ペンキとハケ外買い
に行く。屯田の大きな材料店に向かう途中夕陽が凄く大きく鏡のように光っていた。
晴れた日真横からビカッという感じで思わず運転中の河田さんに「すげえ~ぞ」と
言ったが運転中ですぐには横向けないと怒られた。暗くなって現場に戻る。廃材の
整理を終わるところだった。それから軽く近くの焼き鳥やで河田、清治さんと飲む。
出されたおしぼりはすぐに今日も真っ黒。3人で顔を見合わせ笑う。いいお酒だっ
た。明日は解体される予定のあるスペースの材料を取りに行く。これもREだなあ。
床、壁、棚と打ち付け仕上げに入る。電気の配線、水道の配管等は棟梁中川さん
よく熟知している。工事初日終了後ふたりで飲んでこれもいい時間だった。しばらく
は労働そして喉を潤すそんなシンプルな一日が続きそうだ。顔と頭は煤だらけで
手は打ち傷と擦り傷で少し角張ってきた。普段使わない筋肉が夜寝る時痛む。産
みの何とかでしょうか。
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by kakiten | 2006-04-27 10:43 | Comments(0)
2006年 04月 25日

作業開始ー燃える街角(10)

築50年近い古い建物のまず1階天井部分を破り2階と空間を繋ぐ作業にかかる。
何度かの改装で弁当屋さんになったり縫製工場に使われたりしていた為天井も
壁も都度都度変えられているが、元の床の間の部屋だった頃の骨格が現れてく
る。美しい梁土壁が出てきて感激する。そして空間がよりシンプルになる。大家さ
んの岩澤さんも見に来て幼い頃を思い出しているようだった。天井の低さが2階を
落とす事ですっきりした。しかし約50年の積もった埃で頭も耳も鼻も真っ黒。棟梁
中川さん粛々と仕事進める。私は慣れぬのこぎり片手に天井の梁に掴まり不安定
な姿勢で余分な部分を切っていく。汗ダラダラ、洟も出る。そうこうして梁を残し天井
が開いた頃清治拓真さんが手伝いにきてくれる。若い美術家である。そして河田雅
文さんもくる。「おお!もう3分の1終わったなあ、早い早い!」と言う。それから4人
で黙々と仕事は進んだ。気がつくともう午後6時半を過ぎていた。古い家の上に色
々と被っていた見た目スマートな薄っぺらな板、沢山の余分な配線そしてその下に
あった本来の骨格それはまるで日本の近代のある側面そのもののようだった。
壊しながらその家が本来保っていた姿を発見していく作業をしていると美術のフロ
ッタージュという擦り出し作業のようにあるいは凹みの作家谷口顕一郎さんの傷跡
のトレースを思い出したりした。表面を被う皮膜の下に時代時代の衣装があってそ
の薄さと対照的な骨太な土壁、梁、欄間が普通の民家なのだが、保っていたのだ
。現代の家には後年こうした発見があるのだろうか。1日目の解体はこの家のRE
、命革めるの感がある。
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by kakiten | 2006-04-25 11:21 | Comments(2)
2006年 04月 23日

春楡の梢ー燃える街角(9)

新琴似の賀村順治さんの家に行く。彼は本来歌人で20代で「狼の唄」という歌集
を出版しこれは今や幻の名歌集である。福島泰樹の短歌絶叫コンサートの創生
時から関り今は浜松にいる桑名正和さんと共に福島さんの北海道ツアーには必
ず参加してきた友人である。今回私の店の退去に伴なって大半の荷物は彼の自
宅倉庫に預かってもらっていたので新しい場所の報告と経営上の相談を兼ね訪
ねたのだった。麻生の地下鉄駅に着くとすでに迎えに来てくれていた。それから
彼の自宅まで歩いた。途中新琴似神社に立ち寄りしばし境内を見た。保存樹と
看板の立てられた樹が在りその見事な枝ぶりは遠くからすでに目立っていたが
その樹はなんとハルニレだつたのだ。見渡すと立派なこの神社のあちこちにハ
ルニレがあった。昨日書いたブログに北大寮歌として引用した<エルムの梢>
が晴れた春の空に正に雄々しく聳えていたのだ。其処を出てしばらく歩くと畑に
出た。村田さんという数少ないこの地の農家のものという。「ここは偉いよ、頑張
っているよ」と賀村さんが言った。その畑の向こうにゆったりとした稜線をみせて
手稲山山系が広がっていた。山頂のTVの送信塔が軍艦のマストのようにも見
える。いつもは南東の方から見ているので山の姿が違う。そして昨日書いたば
りのハルニレと手稲山に迎えられたようで嬉しかった。安春川に沿い賀村さん
の家に着いた。お預けしてある荷物を見てから庭のキトピロがもう大きくなって
いるのをみて少し吃驚した。家に入り奥様も交え今後の事を種々相談した。そ
の内ビールとスキヤキが出てそれに庭のキトピロが供されてなにも言う事がな
かった。苦境の時黙って荷物を預かってくれ今またこうして相談に応じてくれる
賀村順治さんもまた侠気のひとである。帰りに奥さんがスキヤキの弁当を作っ
てくれた。美味しい漬物と一緒にまだ暖かい弁当を持って心もお腹も満杯にな
って辞した。しばらく胃が滅多にない栄養で吃驚しているようだった。帰って熊
谷透さんがひとりポツンといたので彼にも分けてあげふたりで美味い美味いと
食べた。ハルニレと手稲山のようなゆったりと豊かな時間だったなあ。胃も心も。
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by kakiten | 2006-04-23 19:41 | Comments(0)
2006年 04月 22日

手稲のいただき黄昏こめぬー燃える街角(8)

早稲田の学生時代「都の西北」という校歌はメロデイーは別にして歌詞が今ひとつ
ピンとこなかった。土地感が上京して間もない性かなにが西北か分からない事も
あり季節感がさっぽろとは、ずれていたからもある。そんな時コンパかなにかの集
りがあって北海道の歌か札幌の歌を唄えと言われて困ったことがあった。群馬の
人は「信濃国の国歌」とかいう昔の唱歌みたいな調子の歌を唄ってこれが故郷の
歌だと威張っていた。私は当時ゴキブリも知らず”カブトムシだ”と騒いで下宿の
笑い者にされたくらいだから逆に北海道出身と言う事をえらい意識していたが歌と
いわれてはたっと窮したのだ。その時ふっと思い出したのが北大の寮歌「都ぞ弥
生」である。特に3番の<寒月かかれる針葉樹林橇の音凍りてものみな寒く野も
せに乱れる清白の雪しじまのあかつきひひとして舞う>という冬の章はじ~んと
した。<ああその蒼空梢つらねて樹氷咲く壮麗の地をここに見よ>と終えると生
意気な横浜出身の学友が”なんか偉そうな歌だなあ”と冷やかすような一目置く
ような目で見た。それから奴とは親友になった。今新たな地を選んでそこが<都
の西北>であり決心したのが<都ぞ弥生>の3月であつたのは不思議な偶然の
ようにも思う。北大の寮歌ではあるがこの詩にはさっぽろの四季がすべて唄い込
まれている。今はもう喪われた自然がそこにはある。特に2番の秋の章にはそ
れがある。「豊かに稔れる石狩の野に雁はるばる沈みてゆけば羊群声なく牧舎に
帰り手稲のいただき黄昏こめぬ」は象徴的だ。雁はかりがねと読みこの雁はもう
北海道にはいなくてかって立松和平がどこかのTVで中国まで探索にいく番組を
見た事がある。羊群は近代外国の学者が日本に持ち込んだ近代の象徴である。
また手稲の頂上は現在TVの送信塔が林立していてゴルフ場スキー場と現代の
象徴と捉えられる。その後に続く「雄々しくそびゆるエルムの梢」は春楡の事で
かってエルムの都と言われたさっぽろを代表する樹である。アイヌ語ではチキサ
ニ、月寒の語源といわれ豊かな扇状地であるさっぽろに多い樹であった。従って
この歌にはさっぽろの自然、近代そして現在がすべて要素として入っているのだ
。今雁は消え、輸入された羊が観光用にその名も羊ガ丘というクラーク像のある月
寒の丘に。そして本来浜辺に咲くハマナスを生態系を無視して1000メートル近く
の手稲山の頂上に植え札幌の花だとPRする鉄塔の林立する手稲の山頂。<黄昏
こめぬ>とは皮肉ですらある。北大のある種のアカデミズムはこの優れた先人の
謳った自然を忘れひたすら<黄昏こめぬ>方向へ協力するパブリックアートや創成
川ネッサンス運動に血道を上げているのだから。さっぽろが文化として自立する為
にも「都ぞ弥生」は秀れて現代に対するさっぽろの基軸を歌で示していると思う。
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by kakiten | 2006-04-22 15:49 | Comments(0)
2006年 04月 21日

さゆらぎて立つー燃える街角(7)

病院に行く。体調はほぼ順調。先生曰く「前の店まだ決まってませんね、何してる
のか・・」診察結果は半分励ましが半分心と体の応援である。場所と建物は申し分
ないから後はその物件への愛着と誇りでしょうと答えた。先日新たな場所の契約
を終えた。紹介して頂いたY医院にも挨拶してきた。どちらからも喜んで励まされた
。「私たちはマンシヨンにしないで頑張ってきてよかった、町内会費を集めても4人
だけであとはマンシヨンの住人。だから4年に一回は班長でね、でもこの場所で生
きここを動く気はないの、だから頑張ってね、楽しみにしている。」そんな話をベー
スに3時間近く話し込んだ。その夜は熊谷直樹さんのお誘いで「鮨たかくら」という
お店に行った。熊谷さんは札幌市にお勤めだが仕事を通して亜麻ロードを仕掛け
ている。さっぽろの歴史と現在をクロスオーバーさせ美しい亜麻の花を植え東区に
新たなスポットを作っている人である。またエレガントピープルというJAZZのリー
ダーの仲西さんの親友でともに以前の店でお世話になった。その彼の行き付けの
お店である「鮨たかくら」のご主人は前の店を気に入ってくれ閉店のラストコンサ
ートの時見事なチラシ寿司を差し入れて下さったのだ。そのお礼も兼ねて初めて
宮の森のお店を訪ねた。実は顔を合わすのは初めてだったが入った時からもう
すっかり寛ぎ美味しかった。この人は鮨もそうだが、魚の料理人である。魚をベー
スに味を作る職人なのだ。もしまだ店が決まってないなら夕方までここをつかって
くれてもいいと言っていましたよと熊谷さんがそつと教えてくれた。私はその日次の
場所を決めたばかりの性もありすっかりハイテンシヨンになってしまった。すると1本
ラフロイグというウイスキーの地酒ともいうべき名品が「たかくら」さんの差し入れで
提供された。気風のいい人だった。「オープニングの時は握らせていただきます」と
真っ直ぐな姿勢で言ってくれた。今度の場所の大家さんは服作りのテーラーさんで
蕎麦打ちが趣味。これに魚の味作りが加わって凄いことになるなあと酔った頭がさ
らに酔いを加速させ思った事だった。知らない所で知らぬまに人が見ている、感じ
ている、そして出会って初めてなのに初めてではない時間が巡ってくる。生業(なり
わい)を持ちそこに住む。服を作る、味を作る。そして心を握っている。そんな人と会
え幸福な1日であった。勿論そんな日ばかりではない。まだ辛い日の方が多いのだ。
翌日雨の日発寒川上流から茨戸まで酒井博史さんと北大生の村岸宏昭さんと歩く
発寒川は途中新川で分断されその河跡の探索が目的である。さっぽろの扇状地を
造った3本の川の内琴似川さっぽろ川の探索を終え発寒川を残していたからだ。こ
日雨多く車と徒歩を交互にしたので改めて全コースを後日徒歩で歩く事にして石狩
に着いた。それでも河跡探しで半日かかり石狩のアートウオームに着いたのは夕
方だった。
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by kakiten | 2006-04-21 15:04 | Comments(5)
2006年 04月 15日

星影彩かにー燃える街角(6)

中川潤さんと会う。かって北海道の有数の登山家であったが今はアイヌ文化の
研究者としての顔の方がメインである。山岳画家熊谷榧さんの個展をした時知り
あった。もう20年位前になる。それ以来主要なイベント、ギヤラリー活動をともに
してきた。今度も次なるスペースの改装に力を貸してもらう。千歳鶴直営の居酒屋
で会い相談する。遅れて彼の勤務する大学の学生も連れて来た。現場は明後日
見てもらう事にしてその日は種々打ち合わせた。大学の3年の佐々木北斗さんが
どんどん話に乗ってきて将来魚の料理屋さんをしたいと夢を語ってくれた。10人
位のお客さんが入る小さいが美味しい魚を食べさせる店が夢だそうだ。いいねえ
近くにおいでよというと顔をくしゃくしゃにして喜んでいた。翌々日内装に詳しい河田
雅文さん、プラハプロジェクト主宰で建築家の大橋拓さん、中川さんとともに現場を
訪れ打ち合わせる。ゾーンと建物については概ね好感度よくほっとした。持ち主も
好意的で楽しみにしているようだった。2月3月とひたすら歩き琴似川水系のここが
今はベストと思う。無仕事無収入でただ歩き見詰めていた。それが自分に課した仕
事だった。後はこの建物を自分の色に染めていく、少しづつ仕上げていくだけ。そし
てそこからさっぽろに開いていく。開いて凝縮していくのだ。2月3月とはまた違う深
い歩みが始っていく。靴は磨り減ったが心は深々と内なる芯を見続けていた。蝋燭
の火の芯のように。お忙しいなか中川さん、河田さん、病気療養中の退院間もない
大橋さんありがとう!と別れた後、声に出さずに胸に声が落ちた。
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by kakiten | 2006-04-15 16:58 | Comments(0)
2006年 04月 13日

歩き初め歩き深めるー燃える街角(5)

路面に靴が吸い付く。路面に平行に歩ける。ほとんどの路がそうなった。ほんの
何週間か前までの斜めの路上が消えた。前後ろの車の気配と足元と、間断なく気
を配り歩いていた。そんな風にして幾つもの街角を巡った。貧しい街角、郷愁の街
角、強圧的な街角、薄くフラットな街角、車とビルだけの街角。歩くを基本にした時
街は表情を変える。そして靴が鳴る道がある。歩き初めて歩き深まる道がある。そ
の道には発見がある。出口ではなく入り口がある。街角もひとつの入り口であった
。自分の情況を反映する時もある。着飾った街角、自己主張の強い街角、ただ俯
いて歩く。朝小松菜炒めトースト昼坂ビスケット夜おにぎりなんて日は特にそう。ひ
ねくれた街角、こちらもさらに落ち込む。表通りの虚飾が皺寄せのように澱んでい
る。貧の時心もより貧になる。直角の路を離れ斜めに伸びる道、カーブする道、歩
きを誘うような心開く道、樹が無言で語っているような道、そんな道には人の顔があ
り遠くにいる友の昨日の電話のような時間と距離がある。”やあ”と逢える一点があ
る。この<やあ!>はre。ルネッサンス、revolutionのre。だから歩き初めて、
歩き深まる道。人にも街角がある。いい街角で人に逢いたい。作品もまた抽象の
街角。いい歌も声の街角。美味しい物も舌の街角(勿論お酒も)。触れる街角。
俺のさっぽろ。歩き深める街角。

今朝事務所に出ると及川恒平の声が流れていた。熊谷さんが今日も聞いている
一枚のCDを聞き深めている人がいる。その影響なのかな今日のブログ。
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by kakiten | 2006-04-13 12:02 | Comments(0)
2006年 04月 12日

旗の下にー燃える街角(4)

江別から中山茂樹さんが訪ねて来る。一月末の引越しの時黙々と手伝って頂いた
。私の4月4日のブログを読んで心配して尋ねてくれた。彼とはJAZZの碇昭一郎
のライブで知りあった。軽妙な司会で場を盛り上げてくれた。しかしその軽妙さとは
裏腹な地道なひたむきさを、彼の引越し作業の最中何度も私は感じた。2日間に
わたる彼の仕事振りは深く感謝の気持ちとともに印象に残っている。そんな彼が
心配してきてくれたのだった。これまでそんなに深い付き合いがあった訳ではない
。人はこうして何かあった時ふっと水位が繋がり心の運河に舟が走る、友情の舟
が。その晩は帰宅した熊谷透さんも交えてお酒が美味しかった。中山さんと熊谷さ
んは初対面ながらともに京都の大学でその点でも話が弾んでいた。翌日仮事務
所に戻り夕方、下の階からドヤドヤと人声がして呼ぶ声がした。下りると熊谷さん
中山さんがいる。昨夜はここに泊まり今日一日熊谷さんの気功の仕事を手伝った
と中山さんが言う。それからまた3人で話が始った。なんと結局は一緒に仕事をす
るかという所まで話が煮詰まってきた。中山さんが江別に帰ったあと熊谷さんはう
れしそうだった。5月の気功ライブを当別の実家の桜の木の下で及川恒平さんも
招きしたいと話していた。5月20日日曜日実現すればいいなあ。中山さんも私と
ともに汗をかき同じ方向を見詰めていい仕事ができればいいと思う。小さな旗の下
人が集まってくる、旗本退屈男かもしれないが・・・。たまに落ち込むのもいいもの
かも知れません。後は一瀉千里がむしゃらに行くだけ。新鮮な街角、開いた街角
を目指して。街角に心挿す。
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by kakiten | 2006-04-12 13:24 | Comments(0)