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2006年 02月 28日

風のように友が来たーふかぶかとさっぽろ漂流(6)

一日出歩いて外から帰って夕刻電話が鳴った。東京沼田康弘さんからだ。
今札幌です。近くです。外に出ると目印のタワーマンシヨン向かいに真っ赤
なヤッケを着た沼田さんがいた。仮事務所まで案内し一応中を見てもらう。
<いや~なんか学生時代の下宿の部屋みたいだなあ、>と第一声。いや
はや、ここは早々にして円山公園口の喫茶店へとりあえず向かう。歩きなが
らも話は止まらない。その後西28丁目の居酒屋楽屋へ行く。店主の松崎軍夏
(いさか)さんと同じ1957年生まれと分かりそちらも話が弾んでいた。
沼田康弘さんは現在役者としてまた脚本家として昨年は九州天草、東北青森
ドイツベルギーと活躍しているが、最初に会った時は「風の旅団」のテント公演
で札幌に来て夕張出身と分かりそこから話が合い友人となった。私が夕張の
廃墟から持ってきた書類を見て<親父の会社だあ!>といって触ってくれた人
である。今回は弟さんの病状悪化で夕張に帰っていたがとりあえず病状は危機
を脱したという事だった。天草の博物館で夕張のアンモナイトが沢山展示されて
いた話、夕張の錦沢でそのかって汽車がスウイッチバックした場所で母と弟
が立っている夢を見てそこを舞台に公演したいという話、また東京である公演を
企画して及川恒平さんと2時間近く話し恒平さんが出演を断念した話は世間の
狭さに吃驚した。沼田さんもなんで及川さんと私が繋がるのか知らず驚いていた。
これも人の伏流水の泉だなあ。沼田さんと会うといつもお互いの今をわんわんと
語りあいほとんど収拾がつかない。でも不思議と根っこの部分は一致しているの
だった。及川さんもそのいい例だったが、昨日は最後に楽屋で沼田さんが持って
いたCDを聞かせたいといって聴いた曲もそうだった。グレングールドのバッハ「平
均率グラビアー集」で、グールドのこの曲は私の座右の曲のひとつだったから。
時にジョンルイスの晩年のソロもバッハの「平均律」でどちらの演奏もあの店で
よく聞いていた。グールドは私が演奏者を選んで聞いた最初のバッハだったし
ジャズ出身で黒人のジョンルイスもピアノでバッハを弾き続けたグールドもともに
黒人がクラシックそれもバッハをとかチエンバロでなくピアノはバッハの時代にない
とか当時の常識をオーバーフエンスして自分のバッハを追究した演奏家であった。
なぜこの曲が沼田さんから昨夜顕われ、私に聞かせたいと思ったのか、なにも
決めた事ではなかった。他の居酒屋では出来なかっただろうし沼田さんがCD
ファイルから最後にグールドのこの曲を選んだのもただ彼の気持ちだったろうと
思う。楽屋を出てまた歩きながら話し続けじゃあと別れた。飲み代は引越し祝い
だった。収入ゼロの漂流者にはあり難かった。さっぽろ流れもの~の今の自分に
は。
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by kakiten | 2006-02-28 12:39 | Comments(0)
2006年 02月 27日

東奔そして南友ーふかぶかとさっぽろ漂流(5)

地下鉄東豊線栄町まで行く。あまり乗った事の無い地下鉄なので一度終点
迄いってみようと思った。ここはなにもないと思った。烈々布神社のほうまで歩く。
アイヌ語のREP(れップ)ー川の中心からきたことばと思われる。地下鉄駅
周辺も見て回る。川のど真中のせいか<その入口>はない。諦めてふっと
思い出し昨年暮れ美術家の花田和治さんと訪ねた元町の佐々木芳斉さん
を訪ねた。暗い部屋にひとりTVをみてベットに横たわって佐々木さんがいた。
彼が出版していた1980年代後半の「美術ノート」の話やら1990年代初め
にもうすでに4回線を使ってインターネットでチャットをしていた話などを聞いた。
ほんとうになんでも早かったんだなあと改めて思った。もう癌で春か夏までだよ
とさして落ちこんでいる様子もみせず語っていた。元気な時はキザで歯に衣きせ
ず何度か頭のきた事もあったのにこうして今淡々とお互いの事をはなしあってい
る、不思議といえば不思議だった。人間の間にも伏流水のような付き合いがある
よなあと云ったら肯いていた。時間もたち暗くなったのでじゃあまたと辞した。
翌日南の沢の翻訳家石田善彦さんの家に向かう。以前から訪ねる約束をして
いて今回はあの店の引越し作業中知り合った酒井博史さんと田中綾さんも一
諸だ。気功の熊谷透さんも同行。酒井さんと田中さんは国民歌謡ラヂオ歌謡に
共通の関心が接点にあり、熊谷さんと酒井さんはいつかの洞爺大介さんのガラス
工房訪問以来である。石田さんの家に着きみんなで湯豆腐を囲み話は8時間以
上深夜に及んだ。しかしまあみんなどこかで繋がるものだ。話は多岐に渡り一度
には記せない。ただやはり酒井さんの歌声<そうだ!友よ夢を叫べ!>が石田
宅に朗々と響きみんな頭を垂れて聴き入ったことはいつものとおりだった。
20代30代40代あとは、ウン10代と年齢も生い立ちも違う5人が濃い時間の内に
いた。
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by kakiten | 2006-02-27 17:00 | Comments(0)
2006年 02月 25日

ちよっと休息かな?-ふかぶかとさっぽろ漂流(4)

そろそろ人恋しくなってきたのかここのところ会おうという機会が増えてきた。
先日の平岸もそんな感じ。もう何年もまえ初めて下沢トシヤさんの工房を訪
ねて近くの居酒屋さんで飲んだことがあった。いいお店でなにより食材も店主
も品格があった。そう、家でいえば軒も庇も屋根もきちっとあるという感じだ。
その頃の私には薄野を中心にしたイメージが飲むところにはあって、ビルの間
をハシゴしていたせいかあまり屋根も庇(ひさし)も感じてはいなかったのだ。
それがビルの内、外でも同じだった。夜だけでなく昼もお店は屋根も庇もない
コーナーの連続のようにあった。大きな建物と地下へと続く通路に嵌め込まれ
るように店があった。そこを出入りする出口入り口は均等にあって用を足す為
のその口はすぐ消えた。沢山の店が昼も夜もあるのだが全体としてのっぺりし
た空間だったのだ。昨日のブログに思わず<平岸村>と書いてしまったがその
場に根っこのある店の存在感がそう感じさせるのだ。一軒の店に入るという
微かな緊張感と期待の快感があった。だから入り口と出口は均等ではなかった。
人間の住む街にも自然と同じようにかって<その入口>が存在した。それは
決して出口と均等ではなく、出口は入り口の属性にしかすぎなかったのだ。いつ
のまにか出口が重く軽い入り口が増えてきた。中心部の市街地に慣れた眼には
この時平岸は新鮮でどこか懐かしいものだった。私の生まれた駅前通りもかって
はそういう街だった。私の東京の学生時代6年間で根こそぎ変った。その渦中で
父さんひとり苦労したんだろうなあ、父の死後戻った自分の今に続く闘いはそこに
原点をもつとふっと思った。さっぽろの街を漂流しながら<村>のようなそこ固有の
街角が喪失しつつある、恐ろしいほどの勢いで今もますます消えていくのをみる。
でもこの間、この今唯一の窓口ーその入口であるブログを通してすら毎日ノックし
て入ってくる人と人の数は減らない。その事実にインスパイヤーされてまた歩く。
下沢さん、中川さんとの平岸村そんな時間でしたね。ありがとう。
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by kakiten | 2006-02-25 13:27 | Comments(0)
2006年 02月 24日

平岸の宴ーふかぶかとさっぽろ漂流(3)

中川潤さんから電話ある。明日沖縄へ立つ。陶芸の下沢トシヤさんも会いたがって
いるのでどうということだった。夕刻地下鉄大通り駅で待ち合わせ平岸へ向かう。
陶工房下沢前の居酒屋で下沢さんを待ちふたりで飲みだす。強制執行前3日間
泊り込みで引越し運搬を手伝ってくれた。それ以来久し振りだ。あの最後の朝モー
ニングセットの髭面、大介さんとふたり前にいてヤマアラシの頭をみながらトース
トと目玉焼きをつついていた。話は今まで書いたブログのこと、その反応に始まり
沖縄の美術家豊平ヨシオさん、詩人の与那覇幹夫さんのことなど話していた。
そのうち下沢さんが来た。下沢さんにも2回引越し荷物の運搬を手伝ってもらった。
それ以来である。中川さんと下沢さんは石狩望来の鯉江良二モニユメント以来特
に肝胆相照らす仲だ。そのうち酔ってきてふたりでジャレだす。後から来た下沢さ
んのスタッフの多田昌代さんが面白がってさかんにカメラで写していた。髭面ふた
りの愉快なショットが沢山撮れた事だろう。話は5月出羽三山に3人で行き、月山を
登ろうということでお開きになった。山形はお酒もお蕎麦もいいし好きな干し柿も食
べたい。地下鉄最終に間に合い中川さんと大通り駅で別れる。久し振りの平岸村
だった。翌朝東京沼田康弘さんから留守録。札幌に来ているという。熱い男で夕張
の話がきっかけで友人となった風の旅団の脚本家と役者をしている。会うのが楽し
み。昨日は月末近く動きが鈍る。半日ブログとメールの返事身辺整理に追われる。
円山市場のケーキ工房じゆ~んの小川さんに会い、お知り合いの山中歯科さんに
北15条方面の情報提供の為会うように勧められる。小川知子さんは多満屋という
三越まえの古いパン屋さんの生まれでケーキつくりのプロだ。登山も趣味で山岳画
家熊谷榧さんの個展で知り合った。今回はいろいろとお世話になる。別れて市場横
の食堂で天丼食べたがまずかった。遅い昼飯。それから平岸へ向かった。
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by kakiten | 2006-02-24 13:32 | Comments(2)
2006年 02月 23日

雪泥の道ーふかぶかとさっぽろ漂流(2)

ここのところの暖かさで雪泥の道続く。店を喪って三週間余。少し疲れたのかも。
<深々と札幌漂流>と書いてから本当に道が深々でした。そのかわり昨日は
うれしいメールや人の出会いがあった。昨年12月テンポラリースペース最後の
個展をした堀田真作さんからのメールで一月末からドイツへ行きその報告。<
先月から今月アタマまでドイツに行ってきました。ちようど月末はケンやあやち
やんたちと飲んでいました。中森さんと話そうと、盛り上がったんですがタイミ
ングが合いませんでした。少し残念です。中森さんのお告げの通りドイツでは
好感触で迎えられました。来年1月からハンブルグで個展をします。その前に、
豊田の個展がありますが、殺す気で攻めていく所存です。ドイツのギヤラリーの
ミキさん。中森さんのフアン(同志?)なのだそうです。-「それから、中森さんに
ぜひ堀田さんの作品について解説を書いてほしいのですが。(中略)堀田さんは
どう思われますか?」ーいかがでしよう。御一考ください。>なにかドイツにいる
谷口顕一郎通称ケンちやんと堀田さんの姿が目に浮かぶようだ。それにしても
まだ一度も会った事の無いミキさんが私のブログを読んで堀田さんの個展に
繋がるとは、世界が豊かに、柔らかく広がるなあ。<同志?>とはねえ。素直
にうれしいです。
もうひとつ、写真家で昨年7月テンポラリースペースで個展を開いた森美千代
さんがあの場所の最後の10日間を写真で記録していてくれた。ある緊迫した
空気が見事に撮影されていた。人も荷物も窓も非日常の日常にいた。改めて
濃い時間を思う。「あるギヤラリーの終焉」とでも題して充分展覧会ができると
思う。人の顔、建物の佇まい、梱包された荷物、動く人の気配、白樺の幹と雪
あの時間で無ければ絶対にない表情がそこには記録されていた。ひとつの
喪失が集中して、そこにあった凝縮した時間を掬い取っている。時間というもの
はそう云うものなんだなあとあらためて想う。その日東区本町の法邑へ行き、
ランチをおごってもらつた。彼女は同時に優れた主婦でもあるので、私には
豪華なランチも家庭料理の延長ねと呟いてさほど感心もしなかった。主婦は
凄いなあと私は単純に感心した。それにしても時にシビアな辛口の批判をあび
せられて防戦一方の私はこの写真と食事でもうなにも言えない。感謝です。

昨日のこのふたつの出来事で大分回復する。人は人によって傷つき人によって
勇気ももらう。その繰り返しかもしれない。またふかぶかとさっぽろを歩く。一年
で一番短い二月、そのヘソのような寒さと雪泥の二月の底を歩く。
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by kakiten | 2006-02-23 12:08 | Comments(2)
2006年 02月 20日

ふかぶかとさっぽろ漂流(1)

北大斜め通りから北17条を東へ東区本町の「法邑」まで歩く。シャリバリという
雑誌で紹介されていたカフエギヤラリーが気になった。伏篭さっぽろ川筋で
法国寺近く、かってパラト街道を探索した時このお寺の大銀杏が印象的だった。
お寺正面の右奥にモダーンな大きな1階建ての建物を見つける。中に入る。入っ
てすぐカフエゾーン右奥にギヤラリー、シックで落ち着いた空間だ。ちようど昼時
スパゲッテイを頼む。量も味もよかった。ただタバコは駄目。広くて綺麗で清潔。
ただ禁煙だから言う訳ではないが毒がないな。ギヤラリーはショウルームではな
い。もう少し時間がたっていい汚れがついて欲しい。でもここを造った方の意気込
みは立派と思う。あとはもっと開くだけ。空間が大きく清潔なだけにそこの内に閉じ
篭もることが出来易い。カフエが広すぎるのかも知れない。1時間ばかり付き合って
くれた酒井さんもコーヒー飲んだ後寡黙だった。仕事のある彼と別れて雪泥の道
をさらに歩く。パラト街道に沿ってジグザグに道を辿る。今日は暖かいせいか道が
溶けた雪と氷でぐちゃツルルだ。さっぽろ東北部歩き廻るから歩き深めるに明日か
らギヤーチエンジする積もり。腰に疲れ溜まっている感じがする。パラト街道入り
口中央郵便局まで戻り札幌駅前コージーコーナーでコーヒーを飲む。
地質図と一万分の一の地図を見比べ歩いた所をチェツクする。今度は大正時代の
地図も持って歩こう。地質図により近づくから。
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by kakiten | 2006-02-20 18:32 | Comments(3)
2006年 02月 19日

しゅつたつは告げられてある(14)

美術家の小林重予さんよりメール来ている。インドネシアから帰り元気そう。
インドネシア在住のメラジャスルマさんから伝言。<メラメラ燃えるメラの命・・>
という彼女個展の時の私のダジャレがとても気に入って忘れないというような
内容だった。オランダ人の良い作家で重予さんの紹介で数年前個展をした。
今あちこちで活躍、何かが彼女のなかで動きつつあると重予さんの報告だ。
同じオランダのモニカも良い作家だった。エミリーとモニカがふたり来て、アーテ
ストレジデンスでさっぽろに滞在帰る前々日だったが、滝を見たいというので、
2年前の今頃円山川の奥、不動の滝を雪を漕いで案内したことがあった。
最初はビビッテいたが、雪の中に入れば陽気なものだった。後日ハガキが
来て忘れられないさっぽろだった、もう一度必ず来ると書いてあった。4ヶ月
近くさっぽろにいて最後に近く一番さっぽろを感じたなんてどんなレジデンス
をしていたのだろうと思う。
仮事務所の家の熊谷透さんと飲む。洞爺の大介さんのところで朝した気功の
自然な動きに感心した話から、いま私が歩いているさっぽろの大きな地盤地質
図を見せる。すると彼はその地図の上に座り、あちこちを指差し始めた。こんな
ふうに地図を見たことがなかったという。ああ気功をやっているなあと瞬間思った。
大地のいわば人体血管図のようなものがこの地質図だから。作られた市街地の
下に広がる見えない川、扇状地、自然堤防等が現実を透視するように色分けされ
印刷されている。彼はその上に座り札幌を身体のように感じてくれた。気功もまた
身体の気を自然に回復させ、流れをつくる術だからこの地図にすっと入っていった
のだろうと思う。<熊谷さん、毎週一回気功の講習私が新しい場所見つけたらそこ
で開きましょう>といったらほんとに喜んでいた。私が<その入口>と呼ぶ場所は
気功の解放の仕方とある意味同じ性質のものである。水曜か木曜だろうなあ。
大介さんのところで初めて経験した<風の舟>熊谷透さんの気功は一枚の地図
によってテリトリーこそ違えその志はある共通性を持つていたのだ。彼は彼の仕方
で表現していく。見えない川筋に沿って気功の巡業をするのもいいな。大地と空気
がそっと回復し開いていく、身体とともに。風景が結晶し入り口を開く場所で人も
体も一緒に解き放つのだ。テンポラリースペースがもうひとつ豊かになるなあ。
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by kakiten | 2006-02-19 17:18 | Comments(0)
2006年 02月 18日

しゅつたつは告げられてある(13)

北十五条から北大斜め通りを歩く。エルムトンネルの道を越えさらに進む。
左西側に住宅が続く。その後ろに北大第二農場の空間がちらちら見える。
その向こうに西の山並みが遠望される。昨日河田雅文さんに聞いた「トーン
」というカフエに入る。普通の民家を改造した造りで、同じく昨夜河田さん
に連れて行ってもらった「アジト」と同じコンセプトのカフエだ。2階の窓から
スパーっと景観が広がる。ビルの街から少し離れてこういう店がところどころ
あるんだなあ。この斜め道はやはり直線の市街地から少しずれている。そこに
ふっと古い等身大の家屋があり、ギシギシいう階段や床板の音が響く。
アジトという店は庭の木が防風林のように、生垣のように時間を留めていた。
オーガニックな食事とその木たちが空気を綺麗にしていた。トーンは北大第二
農場の借景が活きていた。この隠れ家のような存在は息抜きにはなるけれど
もうひとつコアがない。市街地の直線に疲れた神経を休める効果だけではそれ
自体で閉じてしまう。こういう店がポツンポツンと離れ小島のようにあつてオアシ
スの役割をしているのかもしれないが・・。市街地に対峙する<その入口>は
見えない。もう一度原点に戻って地質図をみて歩こうと思う。皮膚のように覆わ
れたスムースな街の下に広がる血肉のさっぽろを見透かして歩く。それが私の
円山北町で得た経験だ。私のさっぽろ体験であるから。明日以降は東北部
を攻める。今日は酒井さんが小1時間ほど付き合ってくれた。車のCDはいつも
大体懐メロでいつかは「東京ラプソデイー」や「トンコ節」等で私も幼少年に戻る
なあ。後はマージヤンした話でこれも学生時代に戻る。なにか毎日ほっつき歩い
て時間が朔行していく。ホントいいコンビの29歳だ。文句ではないのよ酒井さん
!感謝です。ともに生きる場所探しー夢よ叫べです。
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by kakiten | 2006-02-18 16:24 | Comments(5)
2006年 02月 17日

しゅつたつは告げられてある(12)

病院に行く。畑俊一先生診療そっちのけでしばし語る。「残念です。私もマンシヨ
ン、ビルの反対運動をしていて、今の行政は・・・」に始まりまた是非戻ってきて下
さいというような事だった。思いがけず激励を受ける。「うんと怒ってどんどん書いて
下さい」そして血圧を測る。「う~ん中森さん怒っているから、今高目だな」腎臓は
あまりよくなっていない。まず血圧を下げること、そして食事だなあ。病院はあの店
の近くで退去した後だけに、なにか行きづらかったが逆にご近所の友情を感じた。
東京の映像作家石田尚志さんよりメール入っていた。<僕にとって中森花器店・
テンポラリースペースはこの2年間でもっとも重要な場所でした。(中略)一昨年
の身体の体験(踊り)そして空間の体験(インスタレーシヨン)はともにたった一日
ずつの出来事だったという事も重要な意味を持っていると思うのですが、なにか
今まで成し得なかった方法が初めて全開しえた瞬間でした。それが出来た唯一
の場所でした。何よりそれが成立し得たひとつの理由は、沢山の人の豊かなつな
がりその不思議な広がりでした。(中略)たった2回伺っただけですが、その場所
で出会えた友人との関係は一生続く事になると思います。(中略)そして中森さん
、いつか一緒に沖縄へも行きましょう。-僕は中森さんの所での仕事を今、東京
でやらなければいけないと思っています。自分が生活しているここで、あの仕事
をしなければ嘘だと思っています。>一部分の引用で失礼あったかと思うが、
一昨年吉増剛造さんが沖縄で石田さんに私を紹介した時から、2回の映像個展
を経て今の文章がある。きっとこれは文化の<その入口>が開いていたから
<沢山の人の豊かなつながり>を生んだのだと思う。勿論石田さん、あなたの
作品の保つ素晴らしい想像力、イマジネーシヨンを抜きにそれは語れません。
作品と人がなによりも開いたのです。昨年10月初めの一週間壁に直接描いた
映像とのコラボレーシヨン共に歩き廻った水の道そして寡黙な春日さんの明るい
お餅カフエの表情、忘れません。石田さんが惹き起こした作品と人の力は僕らに
記憶という掛け替えのない映像もまた残してくれた。3月はカナダで制作という。
なにか世界がゆるやかに見える。沖縄もカナダもいつでも行けそうだなあ。
その前に伏篭さっぽろ開かなくては・・!
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by kakiten | 2006-02-17 12:43 | Comments(6)
2006年 02月 16日

しゅつたつは告げられてある(11)

ヨコハマのギターリスト益田洋さんからメール入っていた。なんとか
1月訪ねたかった残念という主旨である。毎年6月ギターソロで演奏。
優れた弾き手である。スケッチという名前でコンサートを開き熱心なフ
アンがいる。東京の及川恒平さんのホームページに先月29日のあの
場所の写真が掲載されている。白樺の木、窓に映った人、入口の雪、
グラスを持つふたりの手のショット、セピア色に沈んだ室内、引越しの
あるひととき、そこには限りなく愛惜に満ちた写す人の眼差しがある。
時間のフイルターの向こう、もう遠い一瞬が静かに留まっている。
<まっくらながらんどうの空間を覗き白樺に挨拶してきました>札大OB
吉成秀夫さんからブログにコメント入っている。今もまだ深いところで想い
が脈拍を打ち現在に血を送っている。これからもまだ遠く近い人からその
ノックは続くだろう。
北大の北15条から続く斜めの道を歩く。エルムトンネル近くの喫茶店に
入って途中車だったので通り過ぎたが気になり、歩いてみる。途中の
枝道にパイプで正面を塞がれた一軒家を見つける。いい感じだ。壊す
寸前かもしれない。田中綾さんがデジカメ選びに付き合う時間が迫り
この日は、ヨドバシカメラに向かう。綾さんは今刊行中の菱川善夫著作 
集のブログを立ち上げる為デジカメを買うという。資料を撮影し収録
するそうだ。菱川先生は自分の恩師でもある。また1980年代ゆいまある
という会を作り共に活動した事もある。ゆいまあるは沖縄の言葉で共に
仕事をするというような意味である。イザイホーの映像、木村雅信の「ア
イヌ舞曲集」とジャンルを越えて企画行動をした。今度の全集ではその
辺の事も収録されるようだ。今また田中綾さんという優れた編集者を得て
今の菱川善夫が動き出す。私もひそかに協力し”ゆいまある”復活を
思う。
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by kakiten | 2006-02-16 13:07 | Comments(0)