2017年 04月 30日

喪失して根を降ろすー暗渠(16)

没後6年目の八木保次・伸子展。
今年は取り分け喪失が存在感を保つ年だった。
会期中懐かしい人の訃報が続いた。
薩川益明先生、画家花田和治さん、友人玉本猛夫人恵子
さん。
そしてなによりも6年前相次いで亡くなった八木夫妻
の今回の展示作品の存在感だ。
人には喪われて、なお根を張る存在がある。
遺された作品と同じように、人の生の髄骨にも身体の喪失
が気付かせてくれるもうひとつの蒼空がある。
生きた時間の心の呼吸が脈打つている時空だ。
作品にはそれが色彩・風景として純粋に息付いているが、
残された者には死者の記憶が、喪失を再構成するように、
かの人生の蒼空が根を降ろす。
喪失という死の結界がひとつの作品のように、かの人生
を凝縮し縁取るからだ。

北の桜の便りも聞こえだしたこの時季。
八木保次の桜吹雪とも夜桜とも見える乱舞する抽象大作。
八木伸子の新緑の夢「札幌大通り リラの季節」
今回展示されたこの2点には喪われた札幌の風物が根付
いて、在る。
長い冬の後の百花繚乱花祭り、そして新緑の都市風景。
その中を駆け抜けた人生の深い夢。
残された者にその夢の髄身が脈拍し蘇るのだ。

喪失と再生が大きなテーマである吉増剛造展「火ノ刺繍
乃道(ルー)」が5月始まる。
明治・昭和と二度にわたる大きな喪失を経験した近代日本。
その契機とも成った吉増剛造の2011年3月11日以降
の6回に渡る「怪物君」への展示。
その集大成の先触れ7年目の「火ノ刺繍乃道(ルー)」展
は、正に喪失と再生の深い時代への裾野を胎んでいる。
喪失を閉じる懐古とせず、再生の開かれた記憶として共に
生きる試行の展示なのだ。

*吉増剛造展「火ノ刺繍乃道(ルー)」ー5月9日(火)ー28日(日)
 :映像構成・鈴木余位 花・村上仁美 

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
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# by kakiten | 2017-04-30 14:50 | Comments(0)
2017年 04月 29日

心の難民ー暗渠(15)

「彩」八木保次・伸子展にご参加頂いた小杉山竜一氏
高橋均氏が作品を搬出していった。
空間はテンポラリー所蔵の2作品と資料他が残るだけ。
いつもそうだがひとつの展示が終わると、何とも言えぬ
余韻が残る。
今回は去りゆく余韻が薩川益明先生、花田和治さん、
玉本恵子さんと会期中続いた訃報とともに尾を引く。

八木伸子さんの80代晩年の「札幌大通りーリラの季節」。
こんな柔らかな夢の絵を、大通り公園に今描ける人がいる
だろうか。
ふんわりと品良く淡い札幌モダニズムロマン。
描かれた場所から200メートル程南の松本医院の子女。
そうした<住>という根が無ければ決して描けない故郷の
原風景なのだ。
現実の風景の向こうに80歳の伸子さんは何を見ていた
のだろう。
地下深く電車が走り、上げ底され高層化した店舗パックの
ショッピングビル群。
通りは何番街とプラザ化し囲い込まれて、人と商品の量数
のみが先鋭化した市街区。
人の<動>は移る<移>に増幅拡大化し、同様に<住>は
<移>に増幅拡大化した街。
その市街区の<移>の向こうに、自らが育んだ遠い夢の風景
を描き遺したかったに違いない。
絵画を志した夢を育んだ故郷の原風景札幌大通り。
3・11以降被災地で唄われた「故郷(ふるさと)」の歌。

 兎追いしかの山 小鮒釣りしかの川
 夢は今もめぐりて 忘れがたき故郷(ふるさと)

野山だけではない、
街(まち)にも故郷は在ったのだ。
近代という西洋文化への深い憧憬。
その憧れを育んでくれた街。
油彩という新しい西洋の絵画表現を、柔らかなかな文字
のように滲み、淡く、上品に描き続けた。
近代モダニズムの種子は、静かに札幌という土壌に根を
降ろし続けていた。
その故郷の原点を伸子さんは、振り返り、自らを奮い立
たせていたに違いない。
自然に近い故里も、近代の夢を育んだ街も喪失しつつある
現代に、八木伸子「札幌大通り リラの季節」は、その
心根・故郷の存在を絵画に遺したと私は思う。
愛する保次さんに高く抱かれ、大通りの樹も鉄塔も空に
高く羽ばたいている。
こんな絵画を今札幌大通りに描ける人がいるだろうか。
札幌モダニズムの美しい夢の土壌を想うのだ。

*吉増剛造展「火ノ刺繍乃道(ルー)」ー5月9日ー28日

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
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# by kakiten | 2017-04-29 12:21 | Comments(0)
2017年 04月 27日

花田和治さん・・・・ー暗渠(14)

画家の花田和治さんが亡くなったという。
飄々として鋭く時に過激で、邪気のない人だった。
今の場所に移転する前自宅に臥せている佐佐木方齋宅
に私を案内してくれたのが花田さんだった。
当時世間に見離されていた方齋を変わらぬ友情で付き
合っていたのは花田さんだけだったかと思う。
私は初めて方齋宅を訪れ、寝たままの方齋を見舞った。
そして部屋に乱雑に置かれた彼の編集した「美術ノート」
全巻を改めて見て、’80年代疾駆した彼の業績を思った。
美術家として、同時に企画者として現代作家展の主宰、
さらに批評誌としての美術ノート単独編集発行。
’90年代以降病床に臥せ一切の活動を停止していた彼を
このままにしてはいけない。
そう思い初期代表作「格子群」を皮切りに、未発表の作品
の数々を次々毎年展示し、その後新作を発表するまで彼は
回復したのだった。
この方齋の復活には花田さんの変わらぬ方齋への友情の
存在が大きくあったと思う。
花田和治さんは、そういう温かで熱い心の人だった。
日本海沿岸の大きな漁師番家の血を引く生まれで、東京
芸大を出て画業一筋。
その画風はシンプルな線描と大きな構図で、やはり海・空
を思わせる豊かで深い構図が特色だった。
テンポラリースペース2004年の個展と、道立近代美術
館での秀作個展が忘れられない。
陸と海、空と山稜、人の心と心。
そうした界(さかい)の世界を、実にシンプルな描線で深
く印象付ける剛直でかつ柔軟な心の作家であったと今思う。
今少し、もっと花田番家の話や海の事など彼から多く聞き
たかった、としみじみ思うのだ。

*吉増剛造展「火ノ刺繍乃道(ルー)」ー5月9日ー28日
*及川恒平×山田航ライブ「傘」ー5月13日午後5時~
 予約2500円

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
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# by kakiten | 2017-04-27 12:12 | Comments(0)
2017年 04月 25日

「彩」八木保次・伸子展終わるー暗渠(13)

6年目の八木保次・伸子展終わる。
今回はふたりの生きてきた時代が伏流水のように
地上に溢れ、出会いの泉となった気がする。
初日26年ぶりのD新聞M記者の取材掲載。
そこから広がった未知のおふたりの知己との出会い。
遺され持ち寄った作品を通じて保次・伸子の生きた
時代と人が会場にいつも深く点滅していたからだ。
展示2日目の薩川益明先生の訃報も、冥土からの
訪問だったような気がした。

八木保次個人画集図録の編集者N氏の、おふたりに
最後まで寄り添った死前後の話も心撃たれた。
入院した保次さんと同じ病院に、後から伸子さんが
入院し、先に亡くなられた。
その死を知らされ、保次さんが一階違う病室を訪れ、
大声で奇声を上げ悲嘆の言葉を発したという。
その後伸子さんの後を追うように保次さんも亡くなら
れ、ふたりの60年近い歩みは止まったのだ。
保次と伸子が歩んだサッポロー東京ーパリ、そして郷土
札幌・宮の森。
遺された作品の内にふたりが生きた時代社会と自然風土
が今も燦々と点滅し呼吸している。
縁あり所有された未見の作品たちが、また明年ここに
集まって時代と固有の風土を語り出すだろう、
こつこつと6年続けてきた追悼の伏流水が静かに湧き上
がって、今という時代・風土を深く照射しコンテンポラ
リー(同時代)の深い裾野を浸してくれた。
作品が人を呼び、人が人と作品を呼ぶ。

保次さん、伸子さん、ありがとう・・・。

*吉増剛造展「火ノ刺繍乃道(ルー)」ー5月9日ー28日。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
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# by kakiten | 2017-04-25 14:06 | Comments(0)
2017年 04月 23日

浮き世ー暗渠(12)

ある時代、そこに生きた人の想念が息付いている。
八木伸子「札幌大通りーリラの季節」。
淡く全体を彩る新緑の緑。
そして中央に聳える鉄の塔。
その下方左下にリラの紫の茂みと白いシャツの痩身
な男性が紫に煙るような女性を高く抱き上げている。
そしてふたりが描かれた画面右端に西洋のものと思
しき街路灯がくっきりと描かれている。
公園両側の建物は省かれ、白く塗り潰された方形の
姿が浮かんでいるだけだ。
空には鳥が数羽舞い淡い空の青世界が広がる。
この輪郭の霞のような筆致に、私は伸子さんの母上、
松本春子の仮名文字の世界をふっと想い出していた。
輸入された新しい文字文化・漢字の世界。
そこに掠れと滲み・省化の独自の和文字創出。
そして明治の西洋化という近代の中で、新しい都市に
生まれ生きたある純粋な想念を思うのだ。
油彩という西洋描法にカナ文字のような淡いの筆使い。
そこには西洋と伝統の対立・亀裂はない。

明治に入り江戸という町は東京という都市に衣を替える。
江戸城は皇居となり、貨幣鋳造地の銀座は煉瓦が敷かれ
ガス灯の灯る西洋通りとなった。
明治以降開拓使が置かれ近代とともに開かれた札幌という
新しい都市には、東京のように風土としての江戸はない。
蝦夷地の新都市札幌はその意味で東京近代より、より純粋
培養され具現化していたのかも知れないと思う。
しかし伸子さんの母松本春子、保次さんの母八木敏さんに
象徴される書道、華道、俳諧という伝統文化を母体土壌と
して、保次・伸子の油彩絵画は存在したと思える。
明治以降の近代の小さな花は「札幌大通りーリラの季節」
に見られる風土と成って咲いているのだ。
新都市サッポロは心のランドマークとして、晩年伸子さん
の淡やかな夢のように咲いている。
文化としての近代を、カナ文字のように柔らかく滲ませて。

*「彩」八木保次・伸子展ー4月23日(日)pm7時まで。
*吉増剛造展「火ノ刺繍乃道(ルー)」ー5月9日ー28日

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
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# by kakiten | 2017-04-23 11:26 | Comments(0)
2017年 04月 21日

ざっくりと粋で、ふんわりと品良くー暗渠(11)

八木保次・伸子さんを思い出しながら、ふたりの人柄・絵画
を重ねて、訪ねてる人の感想・想い出話を聞いていた。
保次さんのざっくり粋な人柄、伸子さんのふんわり品良い人柄。
それはふたりの絵画にも反映していて、訪ねてくれた人たち
の話にも映し出されていた、
冥土から訪ねてきた薩川先生、まっちゃんにもそれを今感じ
ている。
<ざっくり>は、化学教師の側面に、<粋>は現代詩の言葉
の切り口に。
伸子さんには今回初見の「札幌大通り公園ーリラの咲く頃」
の原風景世界に、淡く品良い人柄を改めて感じていた。
僅か数百mの札幌の生い立ちの違いに、札幌モダニズムの
豊かな土壌を思うのだ。
保次さんのご母堂敏さんの優れた俳人・華道人としての面影
も、<ざっくり、粋>で美しい女性だった。
薩川益明先生は青年時このお母様に俳句を学んでいたという。
一方伸子さんのご母堂は、松本春子という書道の大家で、かな
文字書道で一世を風靡した方である。
そうした札幌のふたつの文化土壌の内からふたりのモダニズム
は生まれている。
保次さんのススキノ・中島公園界隈の土壌に、三岸好太郎・
郡司正勝・薩川益明等の芸術・文化人の系譜があり、伸子
さんの大通り・時計台・豊平館ゾーンに松本春子・伸子母娘
の芸術家の系譜があるような気がする。
百年に満たない明治・大正の札幌という都市空間には、かって
そうした今だ解明されていないモダニズム風土の歴史が睡って
いるに違いない。
江戸が東京と名を変え、江戸城が皇居と変わって西洋化という
近代の中心に東京が変貌した時代、その時札幌はより純粋培養
的に西洋化という都市モダニズムを蝦夷地の中心に構築された
経緯があるように思う。
江戸抜きの純粋モダーン東京化である。
その精神土壌が八木さん夫婦のような明治蝦夷地二世の世代に
花開いてあったように思える。
都市を支える精神風土、粋・ざっくり・上品・淡さの心意気が
三世以降の我々にはもう喪われつつあって、只のリットル東京
化の風俗化でしかないようだ。
八木家、松本家・薩川家の書道・華道・乳業の新旧生業の上に
それぞれの子のモダニズムが裏打ちされている。
現代はその土台が空洞化して人口という都市化の増幅のみが
拡大化して今が在る。
東京も江戸という土台土壌風化の上に、メガロポリス東京圏
がある。

八木保次・伸子展を透して、あらためて札幌という都市の革新
性そのモダニズムの行く末に思いを巡らしている。

*「彩」八木保次・伸子展ー4月23日(日)まで。
 am11時ーpm7時:金曜日午後3時閉廊。
*吉増剛造展「火ノ刺繍乃道(ルー)」ー5月9日ー28日

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
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# by kakiten | 2017-04-21 14:59 | Comments(0)
2017年 04月 20日

札幌モダニズム{Ⅲ)ー暗渠(10)

薩川先生の資料を見ていて、色んな事が想い出される。
几帳面な文字でびっしりと書かれた葉書・手紙の束。
そして地名の考察の原稿類。
特に地名の考察には自らが暮らす場所への深い関心が
土地に根を下ろすようにその眼差しが届いている。
手元にあったのは「篠路考」「烈々布考」「礼文華考」
「オシャマンベ考」の4本だ。
「篠路考」と「烈々布考」は札幌の東北部に残る地名で、
「礼文華考」と「オシャマンベ考」は晩年過ごした
道南の長万部地域の地名である。
化学の教師職を生業とし、現代詩の書き手でもあった
薩川先生のモダニズムのもうひとつの営みが見える。
それは生きている場という土地への眼差しだ。
晩年過ごした長万部では郷土史家として知られていた
と聞く。
戴いた4本の地名考を読み返しながら、その分析力に
化学者としての側面を、アイヌ語を媒介とする言葉へ
の深い関心に詩人としての側面を両方感じながら、なお
かつ、その近代思考のモダニズムを今生きている土地に
根差そうと意思する深い思いも同時に感じていた。
ススキノ界隈で生まれ牛乳配達をしながら苦学し、化学
を専攻し詩人ともなった人の先鋭なモダニズムの根を
最後は自分の生きる土地、札幌と長万部の地に根付かせ
るように地名への想像力と分析が赴いていたような気が
するのだ。

八木保次・伸子展の二日目に届いた薩川先生の訃報。
やっちゃん、まっちゃんと呼び合っていたふたりのモダ
ーンボーイ。
ひとりは地名考という形で故郷の足元に言葉の根を張ろ
うとし、ひとりは故郷の光彩を絵画に根付かせようとした。
ともに私達が真摯に受け継がなければならない、真のモダ
ニズムの系譜・財産であると思う。

*「彩」八木保次・伸子展ー4月23日(日)まで。
 am11時ーpm7時:都合により金曜日午後3時閉廊。
*吉増剛造展「火ノ刺繍乃道(ルー)」ー5月9日ー28日

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
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# by kakiten | 2017-04-20 16:18 | Comments(0)
2017年 04月 18日

札幌モダニズム(Ⅱ)ー暗渠(9)

今回の「彩」八木保次・伸子展では、初見の八木伸子
「リラの咲く頃ー札幌大通り公園」と題された作品に
惹かれる。
淡い色彩にTV塔と新緑の大通り公園が描かれている。
所有者の高橋均さんの話だと亡くなる1年程前に描か
れた作品という。
大通り公園を取り巻くビル群は淡い色彩に霞んで、新緑
の清んだ緑が風景を包んでいる。
そして左下に女性と思しき人を抱き上げる男性が描かれて
いて、その姿は保次さんのようにも見える。
とすると、抱きあげられて宙に浮いている女性は伸子さん
だろうか、と想像する。
札幌という街への伸子さんの愛を感じさせる一点だ。
この場所から南へ200m程の所の松本医院で生まれた伸子
さんの札幌の原風景なのだろう。
保次さんの生まれたさらに南へ数百mのススキノとはまた
違う札幌の街の原風景なのだ。
都心の中央を東西に貫く大通り公園。
南に広がるススキノ遊興街と寺社、川、池の広がる中島公園。
その界隈の風土性の相違は、伸子さんのこの絵画にも色
濃く出ているような気がする。
私自身も伸子さんと同じ界隈で生まれ育った所為もあって、
幼少期の原風景のひとつが大通り公園界隈である。
その大通り公園を初夏の煙るような緑とふたりの男女、
エッフェル塔のような鉄塔とともに描いた伸子さんの晩年
の札幌への愛とロマンを思うのだ。
保次さんは、晩年暮らした札幌西部・宮の森の自然が保つ
色彩に自らの絵画の彩(いろ)を見続けた。
乱舞し奔放に描き続けたその絵画の原点には、祈りと遊興の
ススキノ界隈の風土があったのかも知れない。
伸子さんの場合には大通り公園に象徴される整備された街の
気品のようなロマンが潜んでいる。
自然風土に根差した色彩のモダニズム、
時代社会に根差したロマンのモダニズム。
一方は抽象で一方は具象と生前分けられていたが、
さらにいえばシテイとタウンのような街の風土の
相違もあったのかも知れない。
しかしふたりが故郷で再発見し見詰め追い求めて
いたものは、その風土が育んだ独特の彩りという
光・色だったと思う。
大通り公園を柔らかく抱くように描かれた新緑の緑。
その色彩こそが故郷で発見した初夏の彩(いろ)と思う。
今回展示された保次さんの乱舞する桜吹雪のような作品も、
一気に多くの花が開花する札幌の5月の花宴を想起させる。
藻岩山を望み大きな池と川が流れ三社の神社が囲む中島公園。
それに繋がる飲食街と多くの寺社を擁するススキノ。
大通り公園とはまた違う札幌モダニズムのもうひとつの街原
風景なのだ。
誕生して百余年の札幌という都市が抱き育んでいた近代と
いうモダニズム。
その原風景をふたりの絵画は、愛おしむようにその根を
深く抱いて、今在る。

*「彩」八木保次・伸子展ー4月23日まで。
 am11時ーpm7時:月曜定休・都合により水・金
 午後3時閉廊。
*吉増剛造展「火ノ刺繍乃道(ルー)」ー5月9日(火)ー28日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
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# by kakiten | 2017-04-18 15:22 | Comments(0)
2017年 04月 15日

札幌モダニズムー暗渠(8)

薩川益明先生の訃報を聞いてから、窓辺の側壁に先生と
保次さんの談笑の写真3葉をそっと飾った。
届いた訃報の葉書とともに。
雑然とした保次さんのアトリエ。
そこでふたりが、膝を叩き身を乗り出すようにして談笑
している。
ふたりの風貌が甦る。
ダンデイーだ。
ススキノに近い中島公園界隈で生まれ育ち、ひとりは
抽象画家となり、ひとりは化学を専攻し教師となった。
ススキノ風俗とはまた違う知的モダーンな近代の分野
である。
その所為かどちらもダンデイーで格好良かった。
先生は俳優のチャールトンヘストンのように鋭い風貌で
保次さんはスラリとした容姿でフランスパンを片手にし
、それが嫌味無く似合う人だった。
そういえば、同じススキノ生まれの三岸好太郎もダンデー
で、かつ私の母校の早稲田大学名誉教授だった郡司正勝
先生も粋(イキ)な人だった。
ススキノにはそうしたパリのモンマルトルのような遊興
街でありながら、芸術家の系譜があるような気がする。
薩川先生の書く詩も当時高校生だった私にはキラキラと
眩しかった。
化学の教師である先生の語彙は、文科系の当時の詩の
語彙と異なり鋭角的で乾いていて新鮮であった。
先生の風貌と重なり、遠く畏敬の念を保って高校時代
は接していた気がする。
後年長万部に移られた先生と一緒に札幌を歩き廻るよう
になり、町の牛乳屋さんの息子さんと知ってから、その
畏敬の距離は縮まり、同じ札幌っ子として旧き札幌の道
を探索したのだ。
そして今思う。
私の生まれ育った札幌とは違う札幌の土壌を見ていた気
がするのだ。
距離は近いけれどモダニズムの見る先が、より自由で粋
(イキ)で個性的だったと思える。
そして晩年は自分を育てた札幌の風土を心より愛していた
という事だ。
郡司先生も晩年は円山の神社山近くで暮らされ、八木保次
さんは宮の森の奥三角山麓で暮らしていた。
薩川先生は長万部から出てきて、私と札幌・石狩を歩き廻
った時間はとても楽しそうで、それは札幌への愛と思う。
寺町・神社の祈りと遊興の自由が併存するススキノ・中島
公園という風土。
そこから生まれた3人のモダニズムは、化学と現代詩、抽象
絵画、歌舞伎・演劇へと向かっていたのだ。

晩年札幌を離れ、長万部・金沢で過ごされた薩川先生は、き
っと月一回の札幌探訪歩きを楽しみ、嬉しく思い出していた
に違いない。
2年以上金沢で闘病生活を送られた先生に、保次さんとの談笑
の写真を捧げて、サッポロモダーンボーイに心より愛悼の意を
捧げます。

合掌。

*「彩」八木保次・伸子展ー4月11日(火)ー23日(日)
 am11時ーpm7時:月曜定休・なお都合により水・金は
 午後3時まで。
*吉増剛造展「火ノ刺繍乃道(ルー)」ー5月初旬予定。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
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# by kakiten | 2017-04-15 14:23 | Comments(0)
2017年 04月 14日

薩川益明さんの死ー暗渠(7)

高校時代化学の教師だった薩川益明先生が亡くなっていた。
金沢に住むご長男の方から訃報が届いた。
4月7日没、享年92歳。
私は大学を出てこちらに戻りそれからの方が、先生とは
親しくなった。
長万部に移住していた先生だが、札幌南部中島公園近く
牛乳屋さんに生まれた先生は札幌への想いが深く、今展示
中の八木保次さんとも幼なじみで、やっちゃん、まっちゃん
と呼び合う仲だった。
そんな事もあり当時の私の札幌再発見の旅に付き合ってくれ、
集中的に歩く行動を共にしてくれた。
界川の道、琴似街道、茨戸街道、石狩海辺の古道、琴似川
源流行等々・・、先生の幼少・青年期の記憶の道を新たな発見
とともに歩き廻った事を思い出す。
科学者でもあり、詩人でもあった薩川先生はアイヌ語にも堪能
で、レップというアイヌ語の日本表記烈々布の地名の解釈で私
と違う想定で意見を闘わせたりもした。
先生と私の他に若い美術家O君も参加して、歩いた風景の記憶
をふたりの作品にして展示会を開いた事もある。
不思議な事に八木さんの資料とともに、その時のふたりの
展示した合作小冊子が出てきて、何と言う事なくそっと八木
資料の傍らに置いておいたのだ。
その時は先生の死はまだ知らず、先生とO君が十二軒通りを
経て奥三角山から麓の八木アトリエを訪ねた時を思いだした
からである。
その時の。”やっちゃん、まっちゃん”と談笑しあう写真が遺
されている。
先生は本当に嬉しそうだった。
教師生活も札幌向陵中学、西高と長く、晩年は長万部に移住
しそこで奥様を看取りその間長万部から札幌を訪れ、幼少期、
青年期のよく知る札幌界隈を私とともに歩き廻った。
そのハイライトのように幼馴染みの保次さんと会っている。
もうこの時ふたりは昔の悪餓鬼のように無邪気だった。
そしてふたりに教えて貰った旧円山温泉の建物、其処に在った
今で言うキャラルター正っちゃん人形の話とかは忘れられない。
黒沢明のその頃の札幌を背景にした映画「白痴」のクライマッ
クスシーン、厳冬の凍った中島公園池での氷上仮装パレード
その地元の祭の記憶も保っているふたりだった。
夏は夜野外で大きな映写幕が吊られ映画も上映されたという。
その銀幕の裏で遊んでいたよ、とふたりは話していた。
餓鬼大将のやっちゃん、その家来のような年下のまっちゃん。
ふたりの話は止まらなかった。
そんな機会を提供する切っ掛けとなって、札幌の変わり目を体験
していた私にも幸せな時間だった。

先生、
きっと棚の奥から、「彩」八木保次・伸子展に”やっちゃん!”と
声かけながら、堪らず出て来たんですね。
明日から、あの時のふたりの談笑の写真も添えて置きますね・・・。
先生、八木保次さん・・・、 有り難うございました。

*「彩」八木保次・伸子展ー4月11日(火)ー23日(日)
 am11時ーpm7時:月曜定休:水・金は都合によりpm3時閉廊
*吉増剛造展「火ノ刺繍乃道(ルー)」ー5月初旬~

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503 
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# by kakiten | 2017-04-14 14:10 | Comments(2)