初雪降る。
朝窓のカーテンを開けると、白い線が細く斜めに走っていた。
季節は確実に気温を一桁にして、白い寒気を目に見えるものにしていた。
街では芸術の秋を標榜するアートイヴェントが花盛りだが、
この地は、もうmataーpa(冬の年)に入っている。
他(国)を受け売りする自(国)のない植民地根性は、今も健在である。
札幌のTV塔と東京タワーの設計者は同じと聞いた。
そういえば最近のライトアップも似てきた。
札幌にTV塔が建ってから、この街は東京色をさらに加速化してきた。
自然が環境に濃かった時代は、まだ街が正統な近代 のようにあったと思う。
エルム(春楡)の都、アカシヤの並木、札幌軟石の建物、煉瓦造りの百貨店、
瀟洒な個人の洋館等が散在していた。
北原白秋の「この道」に唄われ、黒澤明の「白痴」に撮られた札幌には、言葉に
も映像にもそのさっぽろが明白である。
他(国)の都をもともと模して造られた植民地都市札幌は、当初西の都京都、東
の都東京を真似た事はすでに既成の事実ではある。この碁盤の目状の都市に、
西の都を真似て「何とか通り」と名づけ、次に東の都を真似て銀座4丁目的に「条
丁目」を名づけてきたのだ。
この街の自(国)とは、ひとえに厳しい自然(寒気・植生等)のみが自(国)を有して
いた。その自然環境が、近代化に独特の美しさを与えていたと思う。
それすら今喪失して、この街はどこにでもある駅前風景の書き割りのような街景
になった。文化が弱いのだ。美しい洋館ひとつすら、その風景として守れないの
だ。時計台がある、小熊邸があると反論する人もいるかもしれない。だが、一点だ
けを象徴的に保守する事は文化ではない。
ゾーンとして文化はある。文化には裾野が必要だ。
TV塔の直線的な高さが象徴的である。山との違いを思うがいい。
直線的な山頂を考えるがいい。裾野、中腹の喪失した山頂が美しい筈がない。
山中に見る送電塔の不気味さを思うといい。
雪が降り、さっぽろ・イシカリに冬が来る。この当たり前の寒気こそが信ずるに足
るものである。そこから自(国)を拠点にして今を生きずして何が生まれるのか。
そう思う。
*M企画「logs/rriver/city」-11月4日(火)-16日(日)
am11時ーpm7時(月曜定休・休廊):札幌在住河田雅文企画展示
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
tel/fax011-737-5503