真っ赤なヤッケを着た次々回の展示者中嶋幸治さんが来た。
日曜日の夕方の事だ。
お土産に青森の自宅から送られて来たというジョナゴールドを頂いた。
子供の頭ほどもある大きな林檎で、普通スーパーなどでは見かけないものだ。
この時文月悠光さんと彼女の詩のフアンというIさんという高校生もいた。
文月さんの個人誌「月光」を中岡さんが気に入ってそれを届けに文月さんが来
ていた。Iさんは朝「月光」を求めにここを訪れ、さらに文月さんに会う為夕方また
、ここを訪れていた。
大阪に仕事が決まり、今月引っ越すTさんも、報告がてら訪ねて来る。
みんなで中嶋さんの大きな林檎を割って食べた。
真っ赤な大きな林檎は瑞々しく美味しい。
ひとつの林檎は6人が充分食べれるほどあった。
その後旭川の友人を訪ねるという中岡さんを、若い高校生のふたりが中岡さん
の荷物を持って駅まで見送る。
後日この時の林檎のような瑞々しい文がふたりから届く。
思いがけない出会いと展開を喜んだものだった。
中岡さんのDIARY・布本を見ていて、その濃い時間の凝縮に
少し辟易していた心が息をつく。
1983年に単身ニューヨークに渡り、9・11も経たひとりの女性の咽返るような、
濃い時間が凝縮された今回の作品展は、こうして若い瑞々しい人たちの真っ赤
な林檎のような時間に出会って終ろうとしていた。
1992年にテンポラリーで初個展をしてから随分と時間が過ぎた。
今回4度目の個展で見に来る人たちも随分と変化した。
美術、美術したヴェテランはほとんど来ない。
それはそれで札幌の美術状況であるだろう。
9・11に到るニューヨークを生きた、ひとりの女性の優れた軌跡をこの個展に感
受しながら、立ち会おうとしない美術家といわれる人たちの心の貧困を、今札幌
に思う。
輝かしい国際展や華やかな街のイヴェントだけに心の軌跡がある訳ではない。
もう遠く過ぎ去ったかのような9・11の記憶も、今、この時代にこそ見詰められ
なければならない。その証言が、ここにあるのだ。
私自身が充分に咀嚼・総括できぬまま今夕で中岡りえ展が終了する。
この遠くから届いた重たいDIARYは、中岡さんへの友情とともにニューヨクーさ
っぽろの距離を越えて少しも遠い国のもではない。
遠く思うのはむしろ、近くにある筈の札幌を賑わす文化状況の方である。
*中岡りえ展「DNA DIARY 1902-2008」-29日午後6時まで。
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
tel/fax011-737-5503