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テンポラリー通信

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2008年 08月 19日

betweenの日ー夏の年(sak-pa)(69)

森万喜子展とアキタヒデキ展のあいだ、betweenな日。
「点と点と展」展が、時にショップの店(テン)のように感じられ、アキタさんの見る
人への気配りに疲れた。3日連続でソフアに座り込んでいた人もいた。
しばらくこの感覚には慣れていない。花器店時代のもう失われつつあった感覚で
ある。商品を軸に接待するショップの空気だ。<自分の部屋のように空間を作り
たい>と言った、そのお部屋が時に居心地の良いショップのようにあった。
ともあれ、作品自体は彼の今までの総力が展示され、特に写真系の最先端の
現場の人たちからの評価が高かった。メタ佐藤さん、竹本さんのブログには、そ
の評価した言葉が踊っている。30歳直前にしての初個展。10代、20代の想い
がびっしりと詰まった個展であった。昼夜ここに泊まりこみ、汗臭さを気にしなが
ら多くの人と、ひっきりなしに語り、一所懸命接する姿が10日間続いたのだ。
時にその一所懸命さは、作品だけを媒介に作家と語りたいと思う何人かを、疎外
していたのかも知れない。本人もその事は自覚していて、もっとゆっくり話したか
ったと、何人かの友人、知人、初めて会った人の去った後で呟いていた。
やはり、あのソフアの存在がそこに居座る人と、立って作品を見る人との間に
溝を作っていたと私は思う。祖父への心の内なるソフアと、あるがままの現実の
ソフアは、思い出というモノと記憶の記録への結晶度という点で相違する。
デザインの世界が、現実の用という側に属し、フアインアートが非実用の側に属
する、その界目にあのソフアが存したと思える。優しくも激しいアキタさんの性格
そのまま、彼の日常が、生活と非生活のまま併存した個展であったと思う。
この生(なま)さ加減が、激しくアキタヒデキの現在そのものである。その上で、個
々の作品の評価がある。私は敢えて個別の作品批評を控えてきた。量数的にも
非常にたくさんの数の作品があった。そして、なによりも個展全体が作品として、
見えたからである。場という空間を創るのも作品である。そこに人が集い、さらに
空間が生まれる。場という空間が、閉じた箱ではなく、開かれた函となり得るかど
うかも、私には大きな批評軸としてあるのだ。
最終日、津軽への里帰りを終えたNさんのペアーが駅から真っ直ぐ会場に来た。
お盆はN君の実家、お正月はEさんの実家、その中間11月にふたりは合作の個
展を試みる。愛という記録を社会的にも、個的にもふたりで普遍化しようとするこの
半年に私は何故か、震えるような凛とした流れを感じていた。
この時、この空間は如何なる函となるだろうか。小さなふたりだけの初の共同行為
、そのふたつの旅をはさんで、記憶は記録となり、作品として結晶する。その予感
が鳥肌立つような、鮮烈な渓流として流れているかに思えたのだ。

*森万喜子展ー8月22日(金)-31日(日)am11時ーpm7時(月曜定休・休廊)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2008-08-19 15:11 | Comments(0)


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