人気ブログランキング | 話題のタグを見る

テンポラリー通信

kakiten.exblog.jp
ブログトップ
2008年 07月 25日

応と答ー夏の年(sak-pa)(47)

<応>が心で応えるなら、<答>は、「合で衆口一致で可なりと応対する事」と
ある。衆口一致で可なりとは、みんながいいと言う事だ。
私には、<応>の心の方が、みんなという<衆口一致>より個の心を感じるの
だ。同じ、<こたえる>でも<応える>と<答える>では、その位相が違う。
昨夜はIさんの車に乗せて貰って帰ったので、自転車は置いていった。
朝は歩いてギヤラリーに向かう。途中友人の街路樹に挨拶する。
”やあ、友よ”-梢を揺らせ、黙ってハグしてくれた。朝の応(おう)!である。
さっぽろの本府と呼ばれた、方形の計画された街に生まれた私は、この一本の計
画的に植えられた街路樹に、親近感を抱いている。同じ境遇だよな、そしてアスフ
ァルトの下の見えない川に触れ、逞しく生き生きして闘っているな。そう感じるのだ
。この一本の樹だけが、他の街路樹に比して勢いがあり、美しい立ち姿なのだ。
その訳を、彼の真下の暗渠の川の存在に拠ると、気付いてから、私の一方的な友
情は始まった。そしてそれから、いつもその前を通る度に挨拶する。すると、彼も
また、応えてくれる、そう思えるようになったのだ。

<フラットな、あのフラットな大基地に呪縛されてきた。その下に何かがある、何か
を想像することさえ出来なかった。>(吉増剛造)

札幌本府もまた、道庁を中心とする北海道開拓の為の明治の大基地である。
大通りを火防線とする直線の街路、物流の運河=創成川を東西南北の基線にし
て、計画的に造成されたこの街は、旧帝国大学の農業・牧畜の最先端パークと、
官営のビール工場、帝国製麻工場を従えた政治・経済近代化の最前線基地でも
あったのだ。
私が、一本の街路樹の生命の形の美しさに惹かれるのは、彼が人の手によって
移植された運命にありながらも、その根の部分において、地下の大地の血脈に
触れ堂々と生きている姿勢を感じるからである。そこに、自分自身の投影をも見
るからでもある。そして、そのようにこの街で生きたいと思うからである。
自転車に乗る事で、毎朝の友情の交感は、少なくなりはしたが、今日のように歩き
の時にはいつも彼との挨拶、”応(おう)!”は、欠かさない。
そして、その母なる源流の山への挨拶”my love”も、同じ歩行の道にある。
私は、さっぽろから発する”応(おう)”を、日々の歩行のなかで出会う事の出来る幸
せを、この一本の樹の立ち姿から頂いた事に感謝している。
それが、私のささやかな彼への挨拶”応(おう)”、という応(こた)えでもある。

久野志乃さんが、勤務前の朝早く来て作品を少しづつ加えている。
爽やかな青が顕わてきた。その青が主体の横長の作品が2点、増えている。
船を上から描いたという、瞳のような作品が今朝仕上がった。
2階吹き抜け上部の壁に展示された。<終わりに、>の最後の<、>が、いよいよ
本体を顕し出してきたのだ。終わりに続く始まりが、始まっている。

昨日次回9日からの展示者、アキタヒデキさんが来る。ほとんど出発前のパドック
状態である。この俊英の初個展も、今から気合が入っている。
来月5日予定だったが、及川さん、吉増さんの来演、来訪と予定が入り、9日に延
ばして頂いたのだ。吉増さんの「石狩シーツ」CDを聞かせると、これは絶対買うと
言う。この詩の場所を5月中嶋さんたちと歩いているから、なお一層心に沁みたの
だろう。そして、アキタヒデキ展最初の観客は、吉増剛造となるだろう。
延期の無理がこれで救われた気がした。
川俣正プロジェクトの東京芸大院生菊地拓児さんが来る。現在パリ在住の川俣さ
んからの伝言と近況を聞く。明年以降の新たな出会いが楽しみである。

*久野志乃展「物語の終わりに、」-7月22日(火)-8月3日(日)am11時ー
 pm7時(月曜定休・休廊)
*及川恒平ソロライブ「resonga vol8」-8月5日午後6時半~入場料3000円
 予約2500円
*アキタヒデキ展「点と点と展」-8月9日(土)-17日(日)
*森万喜子展ー8月22日(金)-31日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2008-07-25 13:08 | Comments(0)


<< 彩めく光ー夏の年(sak-pa...      応えるという事ー夏の年(sak... >>