ほぼ2階の「な・ン・の」ルーム片付く。本が減っているのに改めて気付く。
床に積んであった時に見えなかったものが、棚に背表紙を見せて並ぶと分かる
のだ。昨年I書房に随分引き取ってもらったから、当然なのだが、こうして一目で
見えるようになると、あれもない、これもないと惜しい気持ちが沸き起こる。
本棚に並び、すっと手を伸ばし必要な時に見る。物として積んである時は、本が
本ではなくなっているのだ。そんな本への虐殺行為を、いつのまにか強いていた
自分を振り返る時だ。想いとは別に、現実の結果がこんな形で現れる。
九州の阿部守さんより電話が来る。今開催中の高臣大介さんとの初のコラボレ
ーシヨン展の話。鉄とガラスのそれぞれの作品に、お互いが手を加えていく。
ガラスに溶鉄を巻き付けると、ガラスが溶けたり割れたりして苦労しましたと、
阿部さんが言う。鉄にガラスを巻き付ける方が、まだ楽だったようだ。
ただふたりが並列して作品を展示するのではなく、本当にがっぷり四つに組んで
ひとつの作品に仕上げていった訳で、見応えある展覧会になっているようだ。
今度はさっぽろでやろうとふたりで話したという。
土から採取した素材を熱で流動化し、形にしていく。その過程はガラスも鉄も同じ
ような工程を辿っていく。その過程でのコラボレーシヨンである。透明な結果と硬く
不透明な結果の両極端の性質を持ったふたつの物質が、創り手の意識において
共有しつつぶつかるのだ。そのコンセプトを、さっぽろではきちっと提案したく思う。
隼人系の風貌を持つ高臣さんが九州に行き、北への憧憬をもつ九州の阿部さん
が石狩に来る。このこと自体がもう、何かが始まっている証である。
秋の個展とは別に、その前に石狩を訪ねたいと阿部さんが言う。そして大野一雄・
吉増剛造展は、凄いなあと評価してくれる。異分野の両巨人を石狩で括れるのは、
今テンポラリースペースしかないですよとも言う。単純に嬉しかった。
見る事から遠い人が、近くに感じてくれる。その心の回路が嬉しい。
ハンブルグの幹さんから、うれしそうなメールが届く。今、ケンちゃんと彩さんと一
緒という。原稿待ってますということだ。
書棚が整って、遠く、近い声が届き始める。本にも、にっこり笑っている奴がいる。
やあひさしぶり、ちゃんと読んで下さいよ、もう一度ね、と語っているようだった。