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テンポラリー通信

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2008年 04月 06日

漣音のルフラン 魂の席ーランドとしての石狩(14)

3年前に出会った一冊の歌集からSongが生まれ、
声となって10の珠玉の音曲となった。
糸田ともよ歌集「水の列車」最終歌ー

  あらたなる飛礫呑みのみ歌う川 月の破船で待ってる人へ

ここから始まった「歌う川」そして「風のゆくえ」までの10曲。
及川恒平の歌声は、それらの詩の言霊を自分に引寄せ、淡々と、しかし染み入る
ように詩に触れ、開き、声・響きとなって廊内を満たした。
その息吹きは呼気・風(まゥ)となって、文字は声音という、響くものとなる。
詩句は旋律という翼に乗って、文字の意味を軽やかにはばたかせ、
律動という身体を保つ。
文字の底に埋もれている湖(うみ)、言葉の粘膜が湿地帯のように、
命の母胎の胎動を濡らす。
「Resongs vol・2」の一夜は、聞く者のハミングすら聞えてくるような、
すでにスタンダードになっていると錯覚させるような、
深く、濃く親密な声の夜を象嵌した。
意味に包まれ、文字に包まれ、形に包れた短歌が、その内部に潜めている胎動を
、宙に解き放つ。
<songは、歌う、聞くという能動者間によって初めて成り立つ。>(及川恒平)。
この言葉の保つ理念に、限りなく近づいた時間だったのかも知れない。
文字と声の間(あいだ)。
その際(きわ)がともに浸透しあって、宙(そら)を創っている。
私には石狩河口の黄昏が脳裏に浮かんでいた。
澄んだ空気を通る夕陽の一瞬。純粋赤の光の屈折。グリーンフラッシュ。
大野一雄が舞った時見ていたのだ。
明と暗の間(あわい)の美しさ、境界(さかい)の豊かな吃水線。
人もまたその力を保つ。
発語の息吹き。間違もいなく、その同時代の時間に立ち会っていたのだ。

   切株の面にひろがる漣音の淡きルフラン 魂の席

                       (糸田ともよ「水の列車」洋々社・2002年)

by kakiten | 2008-04-06 14:36 | Comments(0)


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