雪解けが進んでいる。意地悪くつるつるの氷が、土色をして目を誤魔化す。滑る
。転ばなかったが危なかった。3,4月は、冬の未練残る。冬と夏の境が春だ。そ
の境が燃える5月。山笑う?、若い娘はスカートはいて野を歩くな?魔物が棲む
から。一斉に森の若葉、青葉が開く。野は、黄・白が最初の彩りだ。福寿草、コブ
シ、ニリンソウ、キバナノアマナ。そして、エゾエンゴサクの青、シラネアオイの透
明なピンク、カタクリの花。5月は植物にとっての共和国。人もまたそうでありたい
。植物には植生圏がある。地形や地勢に密接である。そこにしかない固有種もあ
る。動物にも基本的には生活圏がある。ゾーンがある。だから、境・界が生まれる
。その境・界(さかい)を命の基盤として大切にする。山に登るとその棲み分けが
明白だ。境が美しい。山裾近くの白樺、森林限界線に近い岳樺。それぞれの境を
生きているから、姿も違う。境が消え、同じ姿になる事は異常なのだ。
季節という時間の境も消え、同じ姿に世界中が覆われたら、それはお化けだ。
お土産と書く。土に産まれると書く。土はローカル。その地方という土があるから
珍しい土産(みやげ)だ。境・界が消えればつくりもののブランド。それがグロー
バル化?。さっぽろのゴーヤなんて誰が食べる?「白い恋人」はイメージだ。雪
のイメージで真のお土産(おみやげ)ではない。雪印の方がイメージに直である。
お土産から土が消え、雪が白い恋人になり、イメージだけの転化が進む。それは
あらゆる局面で見られる。1000m近い手稲山の山頂に、ハマナスの花壇がある
という。浜辺に咲くまウ、ハマナスが何故1000mの高さに置かれるのか。それも
イメージ。札幌の市の花だからだ。植生の境・界を無視したイメージのフラットな
暴力。まなぽっと、きたえーる、オジンギヤグみたいな駄洒落のような公共施設
のネーミング。酒席でくだけるみたいなことが民主化か?見え透いた線引き、線
引きの傲慢に、真の境・境はない。手稲山口という移住者の土の匂いがする地名
が消え、明日風という名になるという。明日は明日の風が吹くということか?風さ
え貧しい。まウ:呼気・風・ハマナスの実(アイヌ語地名小辞典・知里真志保)。
想像力が羽ばたく言葉にある境・界(さかい)の越境と、境・界を無視した言葉を
比べるがいい。境・界を喪った”こさえモノ”のイメージは、想像力も土産も喪い、
ひいては、文化を死滅させる。境・界としての石狩・さっぽろを5月のように再生
させたい。そう願うのだ。
*大野一雄展「石狩・みちゆき・大野一雄」-16日(日)まで。am11時ーpm
7時。
*「ふたりの石狩ー大野一雄と吉増剛造」-3月18日(火)-30日(日)
総集編として夕張とカムチャッカに凝縮していく境・界としてあったふたりの石狩
を検証します。
*及川浩平ソロコンサート「Re Song」-4月5日(土)午後6時~入場料3000
円・予約2500円
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
tel/fax011-737-5503