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テンポラリー通信

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2008年 03月 11日

ふたつの石狩ー界(さかい)の再生(23)

大野一雄の石狩河口は父の海へと開かれ、カムチャッカへと触れていった。吉増
剛造の石狩の海は遡行し、源流流域のひとつ、夕張の女坑夫さんに触れていっ
た。石狩を境にして、ふたりはそれぞれの原点というべき封印された近代の軸心
に触れているのだ。吉増剛造の長編詩「石狩シーツ」は、女坑夫さんの美しいリフ
レーンで終るが、そこに重なる基層低音のように響いているものは、奥多摩のシル
クロードに繋がる<織姫>のイメージである。日本近代の輸出物としてある時期、
主力産業であった絹の生産を担った女工さん、それが織姫である。この織姫のイ
メージは吉増さんの奥多摩人としての大きな原点のひとつであると私は思ってい
る。大野一雄にとって戦争という国家の大きな時代の壁が父を封印し、吉増剛造
にとっては、戦後のアメリカ横田大基地が故郷の大地を封印している。このふたつ
の戦争体験が、戦中・戦後という線引きでは割り切れない明と暗、ひとつの戦争と
してあると思える。この直接・間接の戦争は、ふたりの日常の深い意識の底でずー
っと闘われてあったと思える。昨夜のTVで特集された東京大空襲の映像は、現在
の東京の時間の下にある、ヴェトナム戦争・イラク戦争に繋がる今を、示唆してい
た。敵という境が如何に残酷な戦術で日常を破壊するか。その殺戮道具の日常に
及ぶ原点が、東京大空襲のナパーム弾、クラスター爆弾にはあったのだ。ノオモア
ヒロシマ・ナガサキに象徴される以前の無差別殺戮の芽が封印された東京大空襲
にはある。戦後から今日まで東京は今もその事実を封印し続けている。東京の9・
11ともいうべき過去は、境・界(さかい)が消されている。現在形の傲慢が、その境
・界(さかい)を封印している。敵/味方、過去/現在という区別・差別の境は意識
の暴力として消去のようにしか働かない。吉増、大野という優れたふたりの表現者
は、その消去の暴力と意識の中で表現者として闘ってきたのだと思う。石狩の河口
と海は、真の境・界(さかい)として、ふたりの封印を解放したと思える。翻って札幌
という北海道の総人口の半分にも達しようかというメタボリックな都市もまた、東京
と同じように境・界を喪失・消去し続けている。境・界としての石狩を、ランド・モシリ・
国として如何に再生するかの闘いもまた我々は問われ続けているのだ。私は、暗
渠の小さな川、界川から始まった自分のさっぽろの旅は、そのイシカリランドの界
の再生と位置付ける。Republic of Mayとは、その旗印なのだ。


*大野一雄展「石狩・みちゆき・大野一雄」-3月16日(日)まで。
*「ふたつの石狩ー大野一雄と吉増剛造」-3月18日(火)-30日(日)
 :映像と音で総集編として纏めて企画展示致します。石狩を境・界(さかい)と 
  して、海と陸に凝縮していったふたりの軌跡を近代の原点として探求します。
*及川浩平ソロライブ「Re Song」-4月5日(土)午後6時~入場料3000円
 <Re>をテーマに東京に続く2回目のソロ。歌人糸田ともよの短歌を素材に
 聞き手と歌との境・界を唄声で顕す試み。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2008-03-11 11:51 | Comments(0)


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