人気ブログランキング | 話題のタグを見る

テンポラリー通信

kakiten.exblog.jp
ブログトップ
2008年 02月 23日

ふたつのゼロー界(さかい)の再生(9)

足下がぬかる。湿った雪が降る。灰色の空気にどこか暖かさがひそむ。もう冬の
終わりの、雪かも知れない。足元の濡れて纏わりつく路面を、歩きながら思った。
生の世界の煩わしさ、しがらみが浄化され<善人の魂の安住する世界>(知里
真志保)が、あの世なのだと。死は何かを昇化する。生きていることが保つ好悪・
愛憎、それらに纏わる細微なものが消えて優しさ・柔らかさが笑顔のように開い
ている。死者を想うとき、その笑顔がいつも浮かぶからだ。だから、その笑顔の
向こうには、土足で入ってはいけないのだ。死が結晶する<善人の魂>の世界
を時として臨み、自らを浄化する。それが生者の務めなのかも知れない。死者の
固有の記憶が、死を一般化する事を制止する。固有の<善人の魂>として微笑
むからだ。両手を合わせたその向こうに世界がある。泥濘(ぬかるみ)の向こう
に春がある。アフンルパルーこの種の穴は各地にあり、-という。生と死のゼロ
地点。その日常が風景の中に結晶するように存在する場所。海も陸も、天地も
ゼロになるところ。大野一雄石狩河口公演のときにその事を感じていた。虚(カ
ラ)というゼロではなく、生と死の豊かなゼロである。太陽が真っ赤なゼロとなっ
て沈んでいき、鮭が産卵という新たな生の為に死の遡上に挑む。山奥の湧水が
長い旅を経て海に触れ、川の一生を終える。生と死が豊かに交錯する美しいゼロ
。陸はその高さをゼロにし、海はその深さをゼロにする。-<多くは海岸または河
岸の洞穴であるが、波打際近くの海中にあって干潮の際に現れる岩穴であること
もあり、>(知里真志保)ーと、アフンルパルの位置が地球の風景の豊かなゼロ地
点の結晶した場である事を、この解読が告げているように思う。酒井博史さんが、
海神の祭り場・山神の遊び場・をアフンルパルの周りにみてその一帯のリフルカ
(高い・丘・上)が、唯一洪水伝説で水に浸からなかった場所であることも含めて
驚きを記している。-<アフンパル、カムイミンタル、山神、海神・・・このリフルカ
と呼ばれる丘周辺を半日巡るうち、随分といろいろなキーワードが出てきた。これ
らを如何にして整理すればよいだろうか?>(古い地名日記)
この高い丘の上ーリフルカとは、きっと豊かなゼロ地点なのだと思う。人間世界
だけの生と死が交錯するだけではなく、海も山も交錯する処なのだと思う。だか
ら森羅万象の生と死もまた限りなく近づく処なのだ。カラという虚のゼロではなく
限りなく豊かなゼロ。あのニューヨークのグランドゼロと対極にあるゼロなのだと
思う。

*吉増剛造展「アフンルパルから石狩へ」-2月19日(灯ー3月2日(日)
 am11時ーpm7時(月曜休廊)
*大野一雄展「石狩・みちゆき・大野一雄」-3月6日(木)-16日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2008-02-23 13:41 | Comments(0)


<< 湿雪・どか雪・ラッセルー界(さ...      アフンルパルを歩くー界(さかい... >>