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テンポラリー通信

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2006年 02月 07日

しゅつたつは告げられてある(4)

夕張のコメントを寄せてくれたkahiさんの言葉は心に沁みた。今はもうブログだけ
が唯一の他者との接点だ。朝仮事務所の寒い部屋で留守録のチエック、引越し
物の片付けネットはまだ繋がらないので、時間作ってネットカフエへ。それから新
たな場所の探索。少しあせりもあるなあ。相変わらず風邪は抜けないし。
時計台ホール及川恒平コンサートは、当日の雪のように深々と聞いた。ここへ
来たのはもう十年近く前だろうか、福島泰樹短歌絶叫コンサート以来だ。窓の外
にツララと雪が見える。そこだけ時間が止まってみえる。オーバーラップする。円
山北町の南窓、古い時計台、小学校があり、祖父がいて停車場通り、恒平さんの
澄んだ声が時間の櫂を漕いでいく。8時の鐘が鳴った。この鐘の音。かってはよく
聞こえた街中でも。今は地下街で、スピーカーから流す。カツコーも横断歩道の信
号音でしか聞かない。懐古がないなら、現代は現代の音でよい。時計台とカッコー
でなくていい。懐古はもっとラデイカルにあるべきだ。地下街が出来た時それを建
設担当した人が、一匹のトンボを見つけて思わず<小さい秋み~つけた>と歌っ
たという文章を読みその小さな善意とトンボを根絶する都市計画の仕事の落差を
批判したことがある。一匹のはぐれトンボで御祓いするなという趣旨だった。<個
>の善意に還元して一件落着するにはあまりに喪失したものは意図的計画的な
意志の結果だからである。時計台も移転の話が出た事がある。豊平館のようによ
り広い所へとである。しかしこうしてここに入り、鐘の音を聞き、木造の暖かい大き
さに触れれば、他のコンクリートのビルとは決定的に違う質の大きさを実感し、人
間にとっての大きさとは何かを実感できる。窓が美しく、屋根の勾配が美しい。周
囲の高さに沈んで見えても、等身大の人間には十分に大きいのだ。大きさが実感
できるのだ。これ以上の大きさは実感の外にある。首が痛くなって無関心になるだ
けだ。このふたつの大きさを同時に経験できるだけでも時計台がここにある存在価
値がある。だから小さな善意のような懐古の仕掛けはいらない。もし本当に懐古す
るなら、豊平館も含めて全部をゾーンとして残すべきだ。今は周囲との落差に対峙
し、人間にとって真の大きさを体感させる装置として開かれてあるのがいいと思う。
民では経済で押しつぶされるが、官ならせめてそれぐらいはできる。開かれたスペ
ースとしてもっと時間も公演にも余裕があつて欲しい。文化財だがここは使って、
感じて、開かれるところだ。もともと人がたくさん集まる場所としてあったのだから

by kakiten | 2006-02-07 15:15 | Comments(5)
Commented by kahi at 2006-02-08 01:08 x
kakitenさま、私の拙い言葉を深く受け止めて頂きありがとうございます。
時計台ホールは、本当に窓が美しいですね。
私は行くたびに窓枠とその向こうの風景の写真を撮ります。
窓は、内側の中にある外側・・美しい一枚の絵であったり動画のように流れる風景であったり・・。

恒平さんの花器店ライブでは、いつもガラスの向こうの風景に見とれていました。
立ち尽くし歌う恒平さんの後ろを絶えず流れる車のライトや行きかう人たち
明らかに、内と外では時の速さが違うように思えました。

私の住む街にも超高層マンションが建ちました。
それは見上げれば首が痛くなるというより吐き気がするほどの高さであり、
元々そこにあった古いレンガ作りの珈琲館は、そのマンションの根元にシンボルのように残されました。

夕張に暮らした頃、夏の朝は、濃い山霧の中、カッコウが鳴いていました。
何十年ぶりかで訪ねた時、小学校のグラウンドは雑草が生い茂り、
どんなに人間が苦労して拓いた土地も、時を経ればあっけなく自然に帰る・・
かつて暮らした家の跡地に残っていたのは幼い頃のぼった二本の松の木でした。
Commented by kakiten at 2006-02-09 14:23 x
>kahiさまーかって真谷地の小学校跡を訪ねた事がありました。整列する小学生の列のように、木が植えられていました。近くに佐藤商店というお菓子屋さんがありましたが、二度目にいった時はもう廃屋になっていました。グランドに整列していたような苗木の姿と、お菓子屋さんの建物、低く大地に埋め込まれた<旧真谷地小学校跡>の文字ある碑。そんな風景をあなたの文章を読んで思い出していました。一昨年札幌大学の新しい大学院の研究所記念企画で国内外の文学者、詩人、文化人類学者が集まり夕張の廃墟、鹿鳴館クラブ、その裏の二股峠のゴミ処理場を巡り
夕張川と千歳川の合流地点を経て江別そこで一泊しモエレ沼から石狩河口へという企画をしたことがありました。夕張鉄道の道、歩く二股峠の道、現代の車の道それらに点在する現代と近代の混在そして縄文の遺跡大昔の石狩川の痕モエレ沼、濃く深い100余年の旅でした。阿野呂川夕張川に沿って石狩へ。私の夕張はいつもそのように開かれた存在としてあります。アイヌ語のイパルーその入り口の意味のように。
Commented by kahi at 2006-02-10 00:07 x
二股峠・・小学生の足でを下って炊事遠足に行きました。
街の中心を流れる川は茶色く濁っていましたが
二股峠には、美しく澄んだせせらぎがありました。
私の通った鹿ノ谷小学校は、ちょうど二股峠を見下ろす位置にあり
いつもグランドの端に立って二股峠を見下ろし、その向こうに霞む
石狩平野と境目の無い海と空の風景を眺めていました。
いつか、その峠を下り彼の地で暮らすとは想像もできない小学生でした。
鹿ノ谷小学校は、蔦の絡まる外壁が美しい校舎でした。
廃校になってからもフリースクールとして使われていたと聞きました。
Commented by kakiten at 2006-02-10 11:17 x
>kahiさまーそうですか!もう亡くなった画家の畠山哲雄さんから聞いた事がありました。二股峠には美しい泉があり、そこでよく泳いだものだと。今はゴミ処理場となって異臭が漂っていました。一番古い街道ですよね。
もうひとつスイッチバックする夕鉄の跡がサイクリングロードとして残って
汽車の道ですよね。現在の自動車の道とみっつの道があって濃いみっつ
です。ゴミ処理場と背中合わせに旧鹿の谷クラブがあって昭和天皇泊まった迎賓館ですから、現代と近代が鋭く存在しているように私には感じられました。夕鉄に沿って川沿いに江別ここも不思議な街で、イプツ(その入口)というアイヌ語に由来し太平洋側の勇払ーイプツと入り口が夕張
のイパルとこれまたみっつ並ぶのです。あなたが小学生の時眺めた風景はまさしくその入口の風景だったのでしよう。因みに今回きっかけになった沼田さんも鹿の谷近くの出身です。今度3人であうとおもしろいですね。
i
Commented by kahi at 2006-02-10 21:33 x
年に一度くらいは札幌まで出かけることがありました。
夕鉄バスに揺られて二股峠をぐるぐると下るか
鹿ノ谷の駅からジーゼルに乗って、栗山で乗り換えて岩見沢・・
札幌は遠い街でした。アドバルーンがデパートの屋上で揺れ
路面電車が警笛を鳴らして走る街でした。

沼田さんは、黒テントの脚本家とのこと・・
私も20代の頃は、よく芝居を観ていました。黒テントも観ました。
いつか3人で夕張の話ですか・・なんだかワクワクしますね。
そんな風に思っていただけること嬉しいです。ありがとうございます。


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