本職はというか生業はハンコ屋さんである。それも年齢が若いのに頑固一徹な活
字印刷と手彫りの印鑑を代々商いとしている。相撲とプロレスが好きで話し出すと
止まらない。唄う歌も父親か祖父時代の歌が得意でその唄の背景を語りだすと含
蓄が深く一体この人何歳かと思う位年齢を超えたリアルさで語りだす。また世の不
正義に対し辛らつな批判を加えその毒舌は止まる事を知らない。時として大久保
彦左衛門のような横丁の隠居の斜に構えたご意見番のような若年寄の趣きがあ
る。人によってはこのキャラクターを煙たい避けたい存在のように感じる人も多い
だろう。しかしそんな彼がひとたびギターを持って唄いだすとその感受性の柔らか
さ、感じやすいが故の傷の深さから発する心のひだが絶妙な声と共に表現され聞
く者の心を撃つ。その時我々は彼が単に辛口の皮肉屋ではない事に気が付くのだ
。本当は真っ直ぐに世界を見詰めそれ故傷つき易い純な心の持ち主である事に。
普段はその傷口を上手く表現できず口篭り無器用な為ゴニョゴニョ文句ばかり云
っている人間に思われている。しかし天性の美声と感性が表現として唄われる時
普段のその哀しみ、人への深い愛情のやり場の無さが歌声として昇華し無類の優
しさを保ち時に怒り、時に励ましとなって表現される。昨夜の酒井博史ライブもそう
した一夜だった。不覚というか当然というか多分一番先に目頭を熱くしたのは自分
自身であった。そして最後のアンコールの「夢よ 叫べ」まで眼の奥の緩むのが止
まる事はなかった。女性を泣かすヒロシなどと軽い冗談を言っていた自分を恥じる
のだ。分かってはいたが彼の歌声は彼の魂から発せられている。お世辞や褒め過
ぎで言う積りはない。既存の歌を唄いながらそれはもう彼のものとして昇華され自
分独特のものとなっている。バッハの曲が演奏する人によって明らかな違いを感
じさせるのと同じである。その人のバッハなのだ。酒井さんはハンコ屋さんである
が印鑑を彫るのと同じように歌という鑿を使って人の心に彫り込む。その手業もま
た立派な心のハンコ屋さんなのだ。寡黙で口下手な普段の彼は実は見事な魂の
彫り師でもある。彼の唄は心の活字となって上滑りな文字ではなくしっかりと聞く
者の心に印字される。昨夜聞いた人たちそれぞれに印刷された心の紙の表紙に
は優しさという文字が刷り込まれていたのかもなのかも知れないなあ。
*屋比久純子・藤原典子展「LALALAガラス展」-29日(金)まで。
*後藤和子展「青焔sei-en」-7月3日(火)-15日(日)
*石川亨信展「each pulse、each tempo」-7月17日(火)-29日(日)
*村岸宏昭の記録展「木は水を運んでいる」-8月7日(火)-12日(日)
-遺作コンサート:8月10日(金)午後6時~ザ・ルーテルホール(大通り西6)
-追悼ライブ:8月6日(月)午後7時~ライブハウス「LOG」(北14西3)
*佐々木恒雄展ー8月21日(火)-26日(日)
於テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り
tel.fax011-737-5503