一時滞在先の某ホテルに工藤正廣氏を訪ねる。お嬢さんとお見舞いの嵩さんご
夫妻の4人がホテルの1階レストランにいた。嵩さんご夫妻は私と入れ替わるよ
うに帰られる。3人でしばし話す。お嬢さんが気丈に振る舞い語る。これから市立
病院集中治療室のお母さんの所へ行くと言う。朝晩病院に行っているようだ。程
なくお嬢さんが病院へ向かった後ふたりでご飯を注文しぽそりぽそりと話す。今
着ている物も差し入れの服で本当に着の身着のままで避難したのだ。煙がひど
くもし深夜だったら確実に死んでいたと言う。村上善男の資料も全部焼けてしま
って追悼展は無理だなあとぽつりと呟く。そのほかにも貴重なロシア関係の資料
も焼いてしまったと少し虚ろな表情で語った。小学校の時やはり津軽の黒石で火
災に遇い一家バラバラでしばらく暮らしたことがある、これで2度目だと言った。で
も今から津軽に戻る気も無い。色んな人も来るし火災の後始末もあるだろうし奥さ
んの様態もある。疲れが溜まっているだろうなあと思う。どこかに落ち着くまでまだ
しばらく時間が必要なのだ。裸一貫、知力一本。状況は違うけれど私は都市の経
済の火災に身ひとつ。工藤氏は本当の火災だけれどある意味やはり身ひとつ。
こういう言い方はなにか変だけれど横一線に並んだなあと感じた。そんな不思議
な友情のようなものを感じていたのだ。工藤は津軽系石狩人としてこれからともに
さっぽろで生きようと慰めにもならない言葉だがそんな話をした。焼失した家の跡
地は更地にしてもうそこに戻る気は無いと言う。奥さんの知子さんの気持ちもある
のだ。工藤正廣の第二のさっぽろが始まる。そこに私も含めた新たな責務新たな
さっぽろという場の時代が広がってあるような気がする。焼失したものを惜しむ後
ろ向きな視線はなかった。何かが喪われたけれどそれは何かの出発でもある、そ
んな姿勢が彼の静かな表情の中に秘められていたようで私は会えて嬉しかった
のだ。裸一貫。知力一本。状況も環境も違うけれどもそんな原点を見詰めてふた
り会っている気がした。ホテルを辞する帰り際これ持っていけといってトマトジュー
スの瓶を渡された。その時初めてなんの見舞いも持たず訪ねた自分にふっと気付
いた。これじゃあ逆だぜと言ったがいやあ来てくれただけで嬉しかったからいいん
だと言ってジュースの瓶が私の手元に押し付けられた。帰りの道何故重いトマトジ
ュースの瓶がお見舞いに行って自分の手にあるのかなあと思いながら、まあいい
かと思った。重たい赤いトマトの果汁は闇に沈んだ夕陽の友情のようだったから。
トマトムーンな夜だった。
*木村環展[LIFE GOES ON」-6日(日)まで。公開制作続行中。
am11時ーpm7時
*及川恒平ライブ「しかも、もとのみずに」ー5月12日(土)午後7時半開演
予約2500円当日3000円
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