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テンポラリー通信

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2007年 03月 28日

蒼と緑ー春のにおい(38)

柔らかな距離感の裏に実はシビアーな醒めた現実凝視がそっと貼りつくように裏
打ちされている。その事に鈍感なわけではない。逆にその醒めた現実認識が柔ら
かな距離を保っている大きな要素である事も知っている積りだ。夕暮れの柔らか
な青や淡い緑の背後にもうひとつの蒼や緑のある事を斎藤周さんや今展示中の
福井優子さんの作品の背後にも感じてはいるのだ。その背後の色がいつ逆転し
て表に全面として出現してくるかそれはまた大変な問題である。そのきっかけが
個展という展覧会のEXHIBITIONの<EX>にあればいいとも思う。斎藤周さん
の<次から>がその先端において<EX>を指示するものであればそれでいい。
福井優子さんの灯かりがその先端においていつか青い焔を燃やすものであれば
それはそれでいい。部分で見るのではなく個展というのは否応無く作家の全体を
窺わせるものである。そしてその事に作家自身も気付くことにも意味がある。他者
の目線を共有する事で作家自身が己を見るのだ。外へ、前にという<EX>が意
味あるのはそういう時間の事だと思う。一見工芸的で柔らかく浪漫的な灯かりのキ
ヤンドルにも他者そして社会との関係性において灯かりは焔にも転じる一点が潜
んでいる。一見純美術的な斎藤周さんの作品の淡い緑の延長線上にも言ってしま
えばその焔は潜んでいるのである。凶暴な緑が。福井優子さんの蒼。斎藤周さん
の緑。このふたつの色は二人の作家の秘められた凶暴としてその柔らかさの背後
にラデイカルな<次>を用意していると私は思う。そしてその背後の凶気が何時
全面に出てくるかは作家と社会との関わりに於いてその骨格が験されようとする
時をおいてに他ならないと予感される。偶然続いた分野も表現様式も異なったふ
たりの作家が抱えている他者との距離深くその社会的関係性において多少強引
とも思われるだろうがその淡彩色の奥にある濃い密度の色の存在について共通
する凝縮した意識の存在を感じたのだった。

*福井優子作品展「春を灯すキヤンドル」-3月27日(火)-4月1日(日)
 am11時ーpm7時最終日pm5時から佐藤歌織ピアノソロライブ
 於テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2007-03-28 14:06 | Comments(0)


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