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テンポラリー通信

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2007年 03月 04日

風景が結晶するー春のにおい(17)

歩いているとふっと立ち止まり見渡す場所や心惹かれる道筋がある。身体のツボ
のような場所だ。風景が結晶している。かっての村の中心地。あるいは村境。そこ
には山や川も境目のように存する。人間の集落も函として周りの自然と呼応して
存在していた事が素直に実感されるのだ。札幌という僅か百余年の都市には市
街地の隙間にそうした村の面影が見え隠れしてそれ以前の自然と呼吸しながら
見える時がある。精白された風景の皮や殻の残骸が閉じられた箱物の街に散ら
ばっている。その散乱した欠片が立ち上がりひとつの風景を再構成する時ばらば
らに解体されていた都市の風景が結晶して開かれた有機的な存在として生き物
のように動く。バラト街道、琴似街道、暗渠の川の道、細い直線の墓参道。山沿い
の峠の坂道。さっぽろだけではない。夕張の二股峠の道。阿野呂川に沿った夕張
川と千歳川の合流する道。石狩の海辺の望来への道。海、山、川と道は呼応しな
がら開かれ呼吸しているのだ。そしてそこには季節の木々、花々が生きている。
都市に生活の拠点を置き一方でこの風景の結晶を破壊する側に加担しながらい
かにその対峙点を屹立させ身体化していくか。その闘いがさっぽろ難民の私の選
んだ生き方そのものに思える。懐古に逃げる事はしない。自然賛歌に逃げる事も
しない。緩やかに風景が結晶しゆるやかに風景が解けていく歩行のリズムのまま
に生きたい。そしていくつもの結晶するものに会いたい。風景だけでなく人間の結
晶するもの。優れた作品と出会いたい。そしてともに歩いていきたい。同時代を創
っていきたい。ささやかなこの場のルネッサンス。心の歩行。街を生きる。疲れて
いるのだろうか、歩行が漂泊の呟きのようになるなあ。

*藤谷康晴展「肉体vsCONCRETE FICTION」-9日(金)まで。

by kakiten | 2007-03-04 12:27 | Comments(0)


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