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テンポラリー通信

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2007年 03月 02日

回顧する街ー春のにおい(15)

毎日私が生まれ育った街並みを見ているとその漂白されたモノクロームな描線
の翳に回顧する街が浮かんでくるのだった。描かれた舗道の下に眠る路。市電
の音。停留所のざわめき。学生服の朝。昭和という時代が札幌とともにあった。
国際都市サッポロではなく札幌。さらに円山北町で洪水の時に姿を顕した見え
ない川、界川を通して知ったさっぽろの地形。社会的あるいは時代的札幌では
なく原形としてのさっぽろに気付かされた私は以後そこから自分の生きている
場所のフィールドワークを組み立てていった。方形のデジタルな街に見切りを付
け身体としてのさっぽろをその自然を探索しそれに沿ってギヤラリーという函を
ベースキヤンプにアタックしていったのだ。源流へ海へと川の痕跡を辿りながら
暗渠の小さな川界川に導かれるように海への合流と毛細血管のような山奥の枝
の源流へとさっぽろは豊かな風土を開いてくれた。古い街道、水の道、祈りの道
そして人間の素朴な集落、荒ぶる神社の屋根、和ぐ佛寺の屋根。それら昭和以
前の近代の空間もまた見えてきたのだった。円山地域に多かった洋館の優れた
近代建築物も魅力的な存在としてあった。しかし現代の風潮はそれらをすべて
根こそぎ消去する方向にある。私が生まれ育ったいわゆる都心の街の構造はも
う周辺の地域にも及んで店のパックが住いのパックとして高層化し露地を消し固
有名を消去しつつある。どこかの地域に<はみんぐ町>という名の町ができたと
聞いた。何々さんという固有名詞の家と店も消えるが固有の地名もまた消える。
横文字のマンシヨンやショッピングビルの名前の訳の分からなさが地名にまで及
んでいる。身体としてのさっぽろの観点からいえばそのさっぽろの身体もまた訳
の分からないお化けになりつつある。そこには回顧する街も体験する街も消え場
との深い芯軸を喪失した浅瀬の天地が拡がるばかり。均一化し平らなに成らされ
た時代を平成と言う訳でもあるまいに。<そうだ!未来が過去に変るからこそ、現
在というものがあるんだわ!・・・時間だわ!>モモの発見した時間の花という未
来と過去をつなぐ現在を喪失した時灰色の時間ー整然と直線のつらなる砂漠ー
(ミヒャル・エンデ「モモ」)の世界が拡がるのだ。

*藤谷康晴展「肉体vsCONCRETE FICTION」-9日(金)まで。
 AM11時ーPM7時(月曜休廊)於テンポラリースペース

by kakiten | 2007-03-02 16:25 | Comments(0)


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