人気ブログランキング | 話題のタグを見る

テンポラリー通信

kakiten.exblog.jp
ブログトップ
2005年 11月 29日

あすから本当に冬が・・・

雷そして豪雨今日の嵐は、風景を完全に晩秋へと変えた。
黒々と裸木、梢には一枚の葉もなく、冬と対峙する。
樹はシンプルだな~と思う。あの黄色や紅色のさらにまぶしい
緑色は、一番厳しい寒気の時を迎える時には、すべて脱ぎ捨て
裸となる。骨格そのもののように、天に向かって立つ。
人間は<裸の王様>とか、<ヌード>とか言われ衣装を優先する。
衣装持ちや車持ち家持ちや勿論金持ち、なんでも持っていればいい
訳ではないが<社会>という衣装を背負った人間のさだめは、自然
の衣装観とは違うようだ。しかしこうも思う。かってヴェトナムの難民
の少女やコソボの難民の子供みんな裸だったが、そこに私たち
は、社会的裸を見たのではなかった。むしろ精神的崇高さを見ていた。
国が解体し、民族が解体し、家族が解体し、個となった時社会的衣装
ではなく生命という自然に触れ、勇気のように深くインスパイヤーされる
ものを感受することがある。そのことはどこか、裸木と同じく人間もまた
信じていいのかもしれないと、今日の嵐のあと思っていた。
本当に秋よさようなら。さあ厳しい冬だぞ!黒々と志の梢を掲げて
裸で冬と対峙します。

by kakiten | 2005-11-29 20:36 | Comments(4)
Commented by のえ at 2005-12-01 00:44 x
「since1897 燃える街角 器の浪漫」という中森花器店のキャッチコピーに、〈文化力〉の、とても大切なものを感じています。街角…文化力は国道や道道にはありえず、炎ゆらめく(そして白樺の葉のゆれる)まちかどにこそあるはず。しかも、「浪漫」は批評の原点。  ブログ開設、うれしいです。毎日、批評の糧として読ませていただきます。
Commented by kakiten at 2005-12-01 10:35 x
のえさま
なによりのメッセージ有り難う御座います。
今日から師走ーなにかが走り出します。
Commented by sichihuku at 2005-12-01 13:48
ヌードというより、、ネイキッドって呼んだほうがこの場合あっているのかもしれないですね。
絵画の場合もはじめは確かにヌードを描いているのでしょうが、
追い求めいているのはネイキッドな部分で、そこに触れたくて絵筆をもつのでしょう。
植物の力は凄いですね。裸になった木はとてもしたたかです。
そんな樹を簡単に引き抜いたりしちゃってばちが当たるんじゃないかなんて思います。

Commented by kakiten at 2005-12-02 13:32 x
たしかに日本語化した英語はヌードというとかたよった印象でネイキッドの方がいいのかも知れませんが、絵画でもネイキッドとは使わないと思います。剥ぐという動詞的なニアンスで、<裸一衣装>の対比で使った
積もりです。まあ意味する事は御分かり戴いているよね。


<< 玄冬ということば。      再び及川恒平さんのこと >>