雷そして豪雨今日の嵐は、風景を完全に晩秋へと変えた。
黒々と裸木、梢には一枚の葉もなく、冬と対峙する。
樹はシンプルだな~と思う。あの黄色や紅色のさらにまぶしい
緑色は、一番厳しい寒気の時を迎える時には、すべて脱ぎ捨て
裸となる。骨格そのもののように、天に向かって立つ。
人間は<裸の王様>とか、<ヌード>とか言われ衣装を優先する。
衣装持ちや車持ち家持ちや勿論金持ち、なんでも持っていればいい
訳ではないが<社会>という衣装を背負った人間のさだめは、自然
の衣装観とは違うようだ。しかしこうも思う。かってヴェトナムの難民
の少女やコソボの難民の子供みんな裸だったが、そこに私たち
は、社会的裸を見たのではなかった。むしろ精神的崇高さを見ていた。
国が解体し、民族が解体し、家族が解体し、個となった時社会的衣装
ではなく生命という自然に触れ、勇気のように深くインスパイヤーされる
ものを感受することがある。そのことはどこか、裸木と同じく人間もまた
信じていいのかもしれないと、今日の嵐のあと思っていた。
本当に秋よさようなら。さあ厳しい冬だぞ!黒々と志の梢を掲げて
裸で冬と対峙します。