鉛色の空、冷たい風、黒い道。溶けた雪水を車が跳ねていく。少し体を固く縮め
て歩く。雪の匂いがするよとOさんが話していたのは11月も末の頃だったかしら
。ふっ、もう春のにおいがする。きっぱりと冬。そんな季節感がどこか薄れている
。喉を中心にして肺のあたりが重苦しい。疲れが溜まっている。肩がこる。お酒が
すいすいとはいかない。昨日道新のKさんと美術家の花田和治さんが一緒にな
った。花田さんがビールを持ってきて3人で飲む。その前に藤谷さんのお母さん
と弟さんが来て差し入れしてくれたビールとつまみが沢山あった。そのつまみを
肴に飲んだが飲んでも疲れが消えない。夏の自転車、歩き。それが今不足。地
下鉄は早いけれどどうもリズムが合わない。乗り換えの時のあの早足は苦手。
まあこちらも階段は一足飛びでエスカレーターの人にも負けはしないがなにか
不毛。競走社会、スピードを競うリズムが遅れる事は負けそして罪でもあるかの
ように歩きを急かすのだ。風景が人間だけで濃くなると生まれる社会のリズムだ
。樹も空も風もない風景だからだ。仕事で遅れてきた藤谷さんが同じような感想
を洩らしていた。彼も石狩から桑園まで自転車で通勤していたが今は地下鉄と
バスなのだ。藤谷さんが描く街景の目の奥にある凝視のリズム、それが等身大
の目線で構成されている事は前にも書いたが私の言葉につられてふっと洩らし
た街のスピードとの異和感は風景としてもあるのだ。彼はそれを精緻な街景とし
て再現しながらもほぼ4階以上の高さを排除して画く。歩く人の目の高さで街景
を構成し歩道と建物を成立させる。そしてそこに人も看板もない。風景が人間だ
けで濃くなると生じる競走社会とスピードのリズムを排し街の風景を奪還するラ
デイカリズム。絵画のなかで彼が送っているメッセージは私にはそう読み取れる
。毎日その一番街を通って通勤しているデザイナーのIさんが来て二点作品を予
約していく。以前このブログにコメントを寄せてくれた人で会うのは今回初めてだ
った。毎日読んでますのよと言ってくれ少し照れる。でも日々の経験から藤谷さ
んの作品をきっちりと見てくれ買って頂き嬉しかった。みんな感じている。そして
当り前のようにやり過ごし心の奥にちょっぴりとだが確実に疲労を自覚している。
その疲労がどこかで声を発する時がある。藤谷さんの絵画はそこにすっと存在
している。
*藤谷康晴展「CONCRETE FICTION」ー23日(金)まで。
AM11時ーPM7時(月曜休廊)
*ライブドローイング「肉体vsCONCRETE FICION」
最終日23日am11時ーpm7時
於テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8
北大斜め通りtel/fax011-737-5503