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テンポラリー通信

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2006年 12月 17日

風景の玄米ー函となって溢れる(8)

先天的に身体にアトピーをもち食事療法をしているAさんと会って話していると、
いろいろ教えられる事がある。白米は駄目だと言う。パンも白いのは駄目でライ
麦とか黒パンと言う。添加物や香料に敏感で体が受け入れないのだ。以前は薬
療法に頼っていたが今はすべての薬を断ち食事療法一本で一から体の基礎を
改善する方法に切り替え効果が徐々に顕われてきた。病は贈り物とAさんが言
った。健康の原点からいろんな事が見えてくるという。いつか一緒に玄米の食事
をして咀嚼する事の美味しさ、時間の豊かさとかを感じさせてもらったが、さらに
お米本来の粒にある皮や実やその味までゆっくりと噛むと味わえると言う。玄米
だからいいという教条的なものでなく本当に本来のお米の味を余す所無く味わう
からその栄養が体にいきわたる、身に付く、美味しいと言う。食の原点から見えて
きたものは素材と体の本当に親身な付き合い方といえる。食を純粋に捉えれば
捉えるほどいろんな添加物まがい物を排除し原材料に近くなる。そしてそれが唯
一体の芯から強くして健康になる方法なのだ。薬漬けの日々を捨て食事だけで
回復してきたAさんの食の素材に対する考え方を聞きながら氾濫する食の洪水
の中で見失われ捨てられたきた素材の原点をふっと都市の風景に重ねている
自分がいた。化粧され加工され添加物だらけの風景の奥に原点のように風景が
ある。風景の玄米。それを求め、それを咀嚼し、そこから立ち上がる。「病は贈り
物」。私は深い所で自分が同じ土俵にいるのを感じていた。私もまた風景の玄米
を噛み締めそこから何かを内なる身体に吸収しようとしているのではないかと。
さっぽろという都市の奥の自然をかみしめ、その風景の皮や殻や実をどこまで
咀嚼しているのかと自分に問いかけながら。そう思う。

by kakiten | 2006-12-17 16:29 | Comments(0)


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