内海さんからツアーのサイトシーイングの話を聞いていてふっと修学旅行を思い
出していた。行った記憶はあるけれど風景が断片的で想い出すのはフトンの上
で枕投げをしたとか夜汽車の窓から覗いた眠れぬ夜の風景とかなのだ。今時は
飛行機が主だろうし枕投げの大部屋もないだろうから思い出すことも違うかもし
れない。ただその後同じ場所を一人で旅した時の事は風景も道もくっきりと記憶
にある。昨日皮肉交じりに書いた「FIX・MIX・MAX!」という現代アートのイベント
はその修学旅行、ツアーを想起させるのだ。道立近代美術館を主たる会場にして
各地各場所で賑々しく行われるこのアートイベントはチラシに見る限りアート城下
町の若人版のようで個々の作家にいかなるテーマを提示しようとしているのか不
明瞭である。いかにもヤングの女性がふたり大笑いしているデザインもどこかの
専門学校か大学の入学案内のパンフレットのようである。細かい字で様々な情報
が裏に書き込まれているが目立つのは上部の美術館を使う出品作家のカラーの
紹介である。美術館を主体に他の地方都市、小学校、カフエ等はその下に細かく
記載されこの構造は夕張で見た住宅街の構造、上に幹部の社宅下に炭抗労務
者の住宅という構造を思い出させる。アート城下町といったのはその事を想起し
たからである。このイヴェントのねらいはチラシを見る限り若人という事だろうが
これを企画している人たちは若人と言う訳ではない。若い人たちを引率してツアー
を組むアートの修学旅行のような感じをもつのだ。美術館という権威ある学校を
背に校外に出て行く、そういう集団性を感じるのだ。個々の参加者をどうこう言う
気持ちはさらさらないが企画の構造がツアーぽいのだ。タイトルとなる「FIX・MIX
・MAX」なるものもそれってなんなのって思う。このアバウトさは個が集団にすり
換わっている曖昧さに由来する。昔流行ったコーヒーの宣伝文句みたいだ。宣伝
というのは文化的には啓蒙という事だろう。若人を啓蒙する、その場合の老若が
安易に設定される危うさはそのままある種の権威主義に直結している。集団性の
内に個の契機が見えない。大衆とかヤングとかいう構図しか見えないのだ。内海
真治さんの作品世界にはそんな構図は何処にもない。彼の旅にはツアーもパック
もないからだ。本当の啓蒙とは個々がいい仕事をする事で集団はその後に付いて
来る。その集団は時代という名前であって徒党を組む事では決してない。
*内海真治展「ブループラネット」-陶板画・ガラス画・オブジェ
31日〈火)までAM11時-PM7時テンポラリースペース
札幌市北区北16条西5丁目1-8tel・fax011-737-5503
E・mail-temporary@mable・ocn・ne・jp