テンポラリー通信

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2006年 10月 10日

空は水色・・魂いななきー秋のはなし(23)

夏の高気圧、秋の低気圧。空気もひとやま越えたのかなあ。この場所での約五ヶ
月及川恒平の私には鎮魂と再生のようなライブまで一気に時の気圧も風となって
疾走して行った気がする。山のような資料と本の乱積が畑間さんの整理ですっきり
とした事務所。そこと同じようにこの間の渦巻き高波がふっと今は凪いで静かだ。
恒平さんのさみだれ川の歌詞のように”夏のひかり、秋のはなし”そしてそろそろ
”冬のいのり”の静謐な時が訪れるのだ。阿部守さんから電話がくる。無事作品が
届いたと言う。作家のいない間も作品がひとり滞在していい時間を沢山保った事
に感謝という話になった。特に最終日の囲炉裏のような時間は作品冥利に尽きる
と言った。そう、あの錆の暖かさに自然に人が集まり座り囲んだ。錆って暖かいん
だとその時初めて思った。水滴という溜まって溜まって一点膨らみ液体が固体の
ように溢れ、落下し熱に触れ一瞬白煙となって気体となる。そのシンプルなドラマ
が絶え間なく続いてその痕跡がもうひとつの固体柔らかな出来立ての錆となる時
間の累積。時間という不可視のものが可視の固体となる。あの錆にはそうした不
思議があったのだ。マイナスイメージの錆という存在が時間という目に見えない物
の形として意識された。時間の蓄積という暖かい歴史のように。ガラスの一輪挿し
を百本束にして吊る高臣大介展もまたひとつの蓄積による展示であった.藤谷康
晴さんの最終日の狂乱のような四十枚のドローウイングもまた蓄積であった。老舗
のハンコ屋酒井博史さんのテン刻ライブもまた1日集中した蓄積であった。村岸宏
昭さんの個展もまた彼の才能の集大成という蓄積であった。佐佐木方斎さんの展
示も’80年代からの蓄積であった。阿部守さんは勿論彼の原風景と原行為の蓄積
をリアルな水の行為で展示したものであった。及川さんの唄もまた彼の唄の来歴の
蓄積を新たに開いたものだった。それぞれの時がここで暖かい、美しい錆を創った
のだ。<空は水色、鳥が飛び 魂いななき>(高村光太郎)の「魂いななき」のよう
な今日だな。
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by kakiten | 2006-10-10 14:20 | Comments(0)


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