2日間資料と本の整理に追われる。いやあよくあるものだ。またI書房の岡倉さん
に頼み来てもらう。残すものを振り分ける作業がしんどい。どれも曰く因縁があ
って手元ににある訳でその時の想いもある。これを切る決断が伴なう。それが
しんどい。ほんと、引越しは残酷だ。ただそうして衣を脱いでいく。今に徹してくる
。こうして裸一貫に近ずく。そんな事の連続の人生だなあ。家を出て、街を出て、
また街を出た。そのひとつひとつに闘いがあった。その度に脱いできた。そして、
その時々に人と会った。今佐佐木方斎と出会ったのも、今だからなのかもしれな
い。彼もまた命一貫の現在であるから。’80年代の事をこのところ拘って書いた
ので振り返り気味だと言う人もいる。振り返ってばかりはいない。過去が今を照射
する。そして今はその過去に裏打ちされて在る。未来はその今を反映して来るだ
ろう。分断されて現在はない。今でしか見えない過去も在るのだ。ネット裏の解説
者のように結果だけで表層的に見てもらっても困るのだ。過去も現在との関係性
なのだ。最もよく現在を生きるものは最もよく過去を知る者だ。本一つ処分する事
にもそれが言える。それは振り返りではない。よく知って切るのだ。その決断が
現在という今なのだ。札幌商工会議所から百年記念の案内がくる。貴社も百年を
超えているので表彰したいので是非ご出席をと言う事だった。もうここに来た時に
その過去は切れている。since1897は切れている。花器店の歴史は誇りにも思う
けれどその誇りを生業とする今はない。私自身が今を生きている過去はそこには
ない。ここまで書いていると、阿部守さんより到着の電話入る。やあ、ちょうどよか
つた。疲れているのか文が固くなりつつあった。すぐに段々むきになってくるのを
感じていた所でした。明日から展示の準備が始る。床も見えなかったスペースが
やっと綺麗にMさんにも手伝って頂いて終わったところでブログを打っていたから
。また今日から新しいドラマが始るだろう。