フオーク歌手としてすでに知る人ぞ知る数々のヒットソングをとばしている及川恒平
さんが来た。今年の3月「歌と唄」をテーマに現代詩や現代短歌を、自らの声で唄
にする試みだった。普段活字で目で見ている詩や短歌が、声に置き換えられると
それはまた別の世界を形成する。及川さんの声は、澄んで暖かく、北の空を其処
に秘めていると思われた。例えば井上陽水が<氷の世界>と歌ってもそこに北の
氷は感じられない。彼は九州の出身で同じ澄んだ声でも及川さんとは違う。及川さ
んが極端な話傘と声にすれば、もう其処には<北>の光と空気が漂ってくる。3月
を皮切りに、6月、10月と立て続けに今年はもう3回カフエスペースとテンポラリー
スペースでコンサートを開いたが、美唄生れの釧路育ちの彼にとってこの半年は、
自らの原点<北>の確認の為の行脚でもあったように思われる。6月に出会った
札幌在住の優れた歌人糸田ともよさんとの出会いによって新たな及川ワールドが
現出しつつある。歌は唄によって開かれ、唄は歌によって開かれつつある。声とい
うものは、不思議なその直接性によって言葉を蘇らせ、解き放つ。2人の分野は
違う表現者同士の濃く深い友情は何よりの豊かさを、そのステージにもたらしてい
た。ライブとは、そうした掛け替えのない時間の共有を指すのではないだろうか。
聞く者、立ち会う人も含めて、そうした時間の生れる固有の場、空間そして人それ
は自然界の荒磯や渚、森や草原、川や澱み、渓谷と同じようにそこから立ち上っ
てくる自立した掛け替えのないものと思われる。及川さんが札幌で出会ったもの
はきっと、遠い<北>の自らの生れた空気や風の記憶、磯や川や山の保つ呼吸
だったのかも知れない。護岸化し直線化した海や川、都市や道路ではなく、記憶
の底に種子のようにアンダーマインされ、侵食していた及川恒平の<北>として。