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2017年 12月 29日

人間化した自然ー栃木・足利の旅’(3)

遠く垣根のような山並みを見ながら、私の住む
北の大地との差を思っていた。
垣根の内側の村落。
この山と大地の人間化した調和。
これらは一夕にして創られたものではない。
長い時間の人の営み・耕土がある。
北海道内陸は僅々百五十年前は野生自然が主で
先住民族アイヌが自然と共生し生きていた世界である。
そこに本州から明治維新以降移住して来た人々が住み、
国家は西洋近代を移植し新天地としたのだ。
自然はまだ人間化せず、荒々しく野生であった。
先住民が夏の年・冬の年と数えたような過酷な自然。
自然は馴染むものより、対峙する、戦うものとして
あったと思う。
そんな北の国から来た人間には、あの人懐(なっ)こい
山並みの姿と耕野。
そして苗字の付いた店名の多い2階建てを基本とする
商店街の足利市に新鮮な想いを抱いたのだ。
リットル東京とも呼ばれた札幌の今昔・近代とは質が
違うと思った。
そして現在の札幌は、新幹線・オリンピック・芸術祭
と増々トウキョーと呼応している。
しかし近代以前が縄文・野生自然しかない北海道・札幌
だからこそ、近代そのものに立脚して、その本質を磁場
としなければならないのだ。
あの直売所に見た農作物の多様さ、そして住む人の創っ
たさり気ない工芸品の可愛さ。
あれこそ、ファインアートのファインたる原点だ。
自然の恵み多種多様な農産物の片隅に、ふっと可愛く、
無邪気に添えられた手作り工芸品・調理品の数々。
そして足利の歴史的建築物と肩を並べ、同じ高さで
建ち並んでいた洋風・和風の商店街通りの街。
あの近代は直売所の工芸品・調理品と同じ空気の中にいる。
背後には民衆の幾代も続いた生活・住の時間が籠っている。
戦後アメリカ近代化のうわっら都市化現象と静かに対峙す
る民の住む根が仄かにまだ息づいている気がしたのだ。
着慣れぬ夜会服を身に纏い舞踏会をする鹿鳴館のコスプレ
から始まった明治の近代化。
その歪み・分裂を昭和の尊王攘夷・鬼畜米英で破綻した
国家の歴史よりも丘陵を農土に、低い山並みを村落の生垣
に変え野生の山を遠ざけた住民の長い時を掛けた知恵を私は
尊く思うのだ。

*岡田綾子展「metamorphosis-あいだの部屋」
 1月2日ー7日

 テンポラリスペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き




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by kakiten | 2017-12-29 14:49 | Comments(0)


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