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テンポラリー通信

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2017年 09月 16日

深く閉じ、深く開くー最前線にして最後尾(1)

今回の吉増剛造の展示・ライブ・パフォーマンス・対話
等の一連の活動・行動から感じるのは、俯瞰と裾野の両端
からの視座が深く、高く、ダイナミックに鳴動している事だ。

最前線にして最後尾 背後には黒々と街の火・・・。

そこには<ふたたび>という基調低音が響いている。
現在という起点が、過去を新旧という横軸にはなく、
<ふたたび>という現在の深度ー縦軸に新たなのだ。

それは個的全共闘・坂一敬氏のレトロスペース行為。
現代美術造形家山里稔氏の木彫り熊の蒐集行為。
場は違うが川俣正のふたたびの代官山プロジェクト行為。
これらとも連なる、時代のトニカ(基調低音)の営為で
ある。
1994年失意の帰国後に闘い掴み取った吉増剛造の
「石狩シーツ」の詩業。
さらに2011年3・11を機に戦後近代の出発点とも
いえる吉本隆明の初期詩業を徹底的に血肉化しようとする
「怪物君」の一連の仕事。
時とともに見捨てられ過去へと消去されつつある物たち、
言葉たち、行為たちを、時代の裾野から<ふたたび>の
最前線に命の鼓動・動悸を与え、時代を深く俯瞰する
心身隆起のアクションなのだ。

吉増剛造の四半世紀前独り籠もった石狩河口での「石狩
シーツ」再朗読の行為。
そして南西部源流域山中での夜の「石狩シーツ」朗読行為。
ここにも俯瞰する裾野の両端が秘められている。
さらに今回展示場の北大総合博物館エリア遠友学舎で
故山口昌男学長の札幌大学かっての同僚今福龍太とともに
語った琴似川源泉の飛翔する時間。
<ふたたび>のラデイカルな振幅がここでも振り子の
ように揺れていた気がする。

全生活領域の見捨てられつつある近代の諸道具、諸品。
それらをレトロスペースとして膨大に収蔵し展示してきた
坂一敬。
全学連・全共闘のかっての闘士だ。
今は実家の坂ビスケットを守りつつ、このスペースを維持
する。
たったひとりの、過ぎ見捨てられた物たちとの共闘。
この空間は、物を通底したたったひとりの全共闘最前線
なのだ。

時代が過ぎ居住空間は変化し、見捨てられてきた熊の木彫り。
その土産物としてしか見られていなかったかっての木彫の熊
を再発掘し大部の図鑑本を出版し記録を遺した山里稔。
彼もまた、時代の裾野からのラデイカルな視座を保っている。
本職は現代美術の造形作家であり、その視線は新旧・ジャンル
に流されず同時代の裾野を踏まえて、北海道の木彫り熊をコン
テンポラリーな軸芯として今に投げかける。

それぞれが、それぞれの物を、空間を、自己の基点にして同時代
の裾野を拡げ、同時代の深さ・高さ・拡がりを、個に発し閉じ開
いていく、時代に垂直なトニカ{基調低音)が見える。
私はそんな近代という名の火の芯が、いつか大きな炎と為る事を
信じて止まないひとりだ。

*「大野一雄の記憶ー公演ポスターを主に」ー9月24日まで。
 am12時ーpm7時{火・木・土・日曜日)
 あm12時ーpm4時(水・金):定休月曜日
 
 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
 temphotoーexblog.jp


by kakiten | 2017-09-16 15:57 | Comments(0)


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