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2017年 02月 28日

24軒と二四軒ー湿地帯(12)

酒井博史さんがF・Bで書いている。
自宅の日章堂印房のある住所地名の事だ。
西区二十四軒の地名が24軒と表記されていると
その違いを苛立っている。
これは場所に対する想いが言わせる苛立ちだ。
私にも同じ思いで感じた事がある。
四丁目というある界隈性を保った場所の呼び名が、
ある時4丁目プラザと一ショッピングビルの名と
なった時だ。
街を構成する通りと界隈性がこの時消去されたと
感じた。
祖父の時代の停車場通り、父母の時代の駅前通り
それらの通りがショッピングビルへとパックされ
四丁目が只の数字表記4となって通りと界隈性と
いう根を喪失してきたのだ。
四日市と4日市は違う。
20歳と二十歳も違う。
指示する数字は同じだが、<はたち>と聞けば
他の数字にはない想いが籠もるだろう。
土地の地名も同じである。
八軒、十二軒、二十四軒、十軒とは、最初の集落が
出来た時の住民の軒数に由来する地名だ。
数字一つにも人には想いという心の有機的な根がある。
人口が増え、記憶や想いが風化し、数字は只の数字
となってゆくのも時の流れだが、そうした個々の
小さな根のような根毛が無い世界とは空しい世界と
思う。
個々の想いではなく、立派な記念碑や看板があれば良い
という問題ではない。
個々に共有される記憶の根こそが、土地の豊かさを育ん
でいる筈だ。
故郷の郷たる故(ゆえ)である。
酒井さんの自宅周辺からの指摘・ぼやきは、数字デー
ター全盛の量の利に走る時代に、個々の料の理から
発する広い料見なのだ。

24軒があれば、隣は25軒でその前は23軒。。?
そういう数字ではない。
原野にできた新たな集落を記念した数字なのだ。
数字一つにも人は想いの根を張る事がある。
その小さな人の根こそが、故郷を創り故里を創る。
その根が社会構造からも個人からも、空洞化しつつある。

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 風景と呼び水」ー3月4日(土)5日(日)am11時ーpm7時
*吉増剛造展「火ノ刺繍乃道(ルー)」ー4月初旬~予定。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2017-02-28 14:54 | Comments(0)


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