テンポラリー通信

kakiten.exblog.jp
ブログトップ
2006年 07月 09日

電脳社会ー界を生きる(15)

電脳社会という言葉がある。なにかドキッとした。そういえばよく街でみかける
携帯電話につききりの姿や耳にイアーホーンを付け歩く人を見ているとそんな
電脳人間を見るような気がする。<頭と手の間に機械が割り込み分断してしま
った。>(アン・モロウ・リンドバーグ)時代はさらに進化して頭と手どころか脳の
中まで機械が入ってきているのが現実だ。そしてその時脳はどう分断されるの
だろう。ブログを書きながら勿論手段としてはコンピユーターを使いながらも日
記という古典的な手法を書く方は基本としている。ただ普通の日記と違うのは
半公開を前提としている事である。そこに自分だけの世界に陥りがちな非公開
の日記とは違う緊張感がある。また同時に基本的に日録である為日々の時間
に埋もれがちなキラキラした出来事をその日の内に記録でき後々非常に大き
な貢献をする事がある。書く方は公開を前提としてある為日常の事実であって
もある普遍性を意識してその事実を取り上げ他者へ開こうとする。だから時と
して私信であるメールや手紙をその決意、判断で開いたものとして取り上げる
のである。その事は暴露や揚げ足取りでする訳ではないが時としてその私信
に対して非礼をする場合もあるかもしれない。またその逆に公開性を前提とし
ている為自分の名を出してくれないと不満を訴える人もいる。しかし私はブロ
グを自分なりの一種のエッセイのように書いているのでただの日常の記録と
は位置付けていない。日々の出来事から受けたその日心にノックされた印象
をあるテーマに向かって収斂していく過程がブログの文章となっている。だから
事実の捨象もある。その捨象の事実をを問題にするより収斂された主題で反
論するならその指摘はとても生産性があるが誰それがどうと矮小化されても
困るのだ。書くほうも読む方も共に悪意があってしている事ではないが翻って
自戒する事でもある。これも古典的日記であれば起きない事でインターネッ
トという電脳社会の日記ゆえの憂鬱なジレンマかもしれない。

*藤谷康晴展「常温で狂乱」16日(日)まで
*児玉文暁「歩き人ふみの徒歩世界旅行」旅の話とスライド
 7月15日(土)午後7時~ワンドリンク付き1000円
*村岸宏昭展「木は水を運ぶ」7月18日(火)-28日(金)
[PR]

by kakiten | 2006-07-09 13:03 | Comments(0)


<< 道具と機械ー界を生きる(16)      普通人と詩人ー界を生きる(14) >>