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テンポラリー通信

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2016年 11月 16日

野望と希望ー茨(イバラ)・戸(ト)(2)

見上げれば首の痛くなるような高さ、タワービル。
最上階に住む事がステイタスだ。
しかし身体はどうやってそこに上るか。
電気力の力を借りて指先操作で上る。
身体消耗は極力温存・制限。
そしてその内部は風も光も電気力で調整されている。
生活も交通も電気エネルギーに支配され、人はそれを
快適と信じ成功者の証と見る。
壁のように聳え立つタワービル。
瞼のない眉毛のない平面的な窓ガラス群。
垂直昇降装置、調整された空気・光。
人間自体が冷蔵庫・温蔵庫の中の生鮮物のようだ。
そうした環境に夢見る憧憬を希望とは呼ばない。

新幹線に特化される交通網。
タワービルに特化される都市構造。
すべてが高く、すべてが速く、直線的な構造である。
山の形態で言えば、裾野・中腹に林立する痩せた電波
中継塔の姿をしている。
そんな意識構造を人間も保つなら、その人間の憧憬を
希望とは思わない。
それは希望ではなく、野望というものだ。

人のエネルギーは基本的に身体にある。
その身体エネルギーの延長上に道具という物が存る。
しかし何時の間にか、身体エネルギーの延長ではなく、
道具自体が身体エネルギー以外のエネルギー源に依拠し
膨大な力を保つようになった。
石炭・石油・原子力等地球資源に拠る電気力である。
人にとっての欲望はやがて人間の身体エネルギー以外の
エネルギー支配を目指す方向性に向かって行く。
希望は野望と代わり、痩せた裾野・中腹は上部と下部に
引き裂かれトランプ現象を胚胎し、裾野・中腹の陥没現象
が社会・自然の至る処で勃発し出しているようだ。
過剰な便利・快適に逆らい、どこかで人は人のエネルギー
に立ち戻らなければならない。
文化・芸術・哲学こそ、その原点があるはずだ。
効率・利便原則の対極に位置するヒューマンスケールを
磁場とする思想こそが必要なのだ。

宮崎駿とコンピューター動画の制作者との怒りの対話を
TVで見た。
宮崎曰くー生命への尊厳が感じられない!ー
生命とは正に身体エネルギーそのものへの尊厳である。
我々は本質的に怒らねばならない。
瞼の消えた眉毛の消えた頭部の見えないタワービル群
途中駅とともに裾野・中腹切り捨て新幹線。
生命の尊厳・身体エネルギーの尊厳・身体の命(ミコト)
への尊厳・人間尺度の復権・・・。
それは人間以外のあらゆる生命体・自然現象の回復にも
直結する回路・際(キワ)の回復に繋がるのだ。
ショートカットされない蛇行する河川、社会と自然の間
の森・山、昆虫、鉱石、樹木の分布といった際(キワ)の
界(さかい)・・・。
身の丈を知る、界という世界の回復である。

*森本めぐみ展「百年の予定」ー12月末~1月初旬
*吉増剛造展ー1月中旬~2月初旬

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2016-11-16 14:49 | Comments(0)


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