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テンポラリー通信

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2016年 11月 08日

最終日のカチーナーホピ・カチーナ(6)

蔦の紅葉が最後の深紅となる前に、20cmの豪雪。
そして今日は雨模様。
そんな日、ホピ・カチーナが去っていった。
ホピ族の考える色彩は4色という。
白・黒・黄・青と聞いた。
白は清めの白。
昨年の3倍数到来したカチーナたちの還る日、
20年ぶりという白い世界に包まれる。
これも見えない物達の何かの交感なのかも知れない。

最終日、最後の訪問者が一体のカチーナ・ドールを
購入する。
ある仕事を断念しようと決めた矢先、ひとつの精霊に
惹かれたたようだ。
天川さんとスタッフの田中さんが感動していた。
人間の最もプリミテイブな創造行為とは、自然の
野生から精霊を抽出し宿らせる事だろうか。
その精霊は人間の中に宿主を見つけ住まうのだ。
例えば最も古い工芸の技、漆塗りにしても自然の野生
としての漆は有害で人体に被害を与える危険な存在である。
それが漆塗りとして美しい生活の中の器物となる。
自然の精霊が住み着くのだ。
コワ~イがカワイイ・・となって人に寄り添う。
現代の時代は、自然の野生(コワ~イ)が前提ではなく
(カワイイ・・)に偏重している。
畏怖・怖れがあってこそ、人の創造行為が生まれたのだ。
人間の身体エネルギーに代わる巨大エネルギーを地球胎内
から石炭・石油・原子力を燃料として得た人類は、自然と
いうお釈迦様の掌の中という謙虚さを、忘れかけている
孫悟空のように思える。
アイヌの世界でもカムイは神であると同時に、魔を意味し
たと言う。
精霊の宿る神の世界は同時に、恐ろしい魔の世界も抱えて
いた。
白く輝く幻想的な雪の世界も同様である。
吹雪の白い闇、融けて凍結したツルツル路面。
魔もまた身近な存在なのだ。
畏怖と怖れに対峙し、人は願いを籠めて精霊を創る。

 皺、皺、皺、皺、ーカチーナ・ドール、皺、皺、皺、皺、
 ーソノ”皺”を”生”のなかで出逢う”死”のようにわたしたちは
 編ンデ行く。皺、皺、皺、皺ーカチーナ・ドール、皺、皺、
 皺、・・・・・

吉増剛造の「石狩シーツ」の一節がふっと思い浮かんだ。
先日来月初旬来廊と葉書が来た。
東京・竹橋の国立近代美術館個展から再び新たな胎動を
始めるようだ。
来廊に逢わせ
  
 アッ!ナニカ、展示も考へマスカ?

今年1月「怪物君 歌垣」展の後、6月東京大個展を控え、もう
今年は体力無いよと呟いていた人の旺盛な創造への情熱を想う。

*森本めぐみ展「百年の予定」ー12月末ー1月初旬予定。


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by kakiten | 2016-11-08 14:34 | Comments(0)


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