I氏が持参してくれた今月9日付けの毎日新聞。
その紙面で吉増剛造は、自らの表現の原点を語っている。
その原風景のひとつ戦時下空襲の中、首都圏東京のラジオ
放送の記憶が語られる。
「東部軍管区情報、房総遥か沖合より敵機侵入しつつあり・・」
この情報の発信場所が敗戦まで東京・竹橋に存在した東部
軍管区司令部で、その跡地が現在の東京国立近代美術館という。
日本の中心の中心皇居のお堀の周りには、日本の近代を象徴する
跡地・建物跡が今も埋もれている。
戦後占領下の本部GHQ、リーダースダイジェストを始めとする
戦後近代化もまたこの一帯を発信地として全国に展開されたのだ。
輸出される商品に「made in occupied japan」
と記され、同時に自由と平等の理念の下当時の日本人の半数近くに
無資格だった参政権を与えられ、戦後民主主義がスタートする。
今18歳からの参政権が話題だが、その母の母に参政権が与えられ
たのはそんなに遠い時代ではない。
今に繋がるこうした時代の裾野を、現在の私たちはあまりにも記憶
の外に置きすぎている。
風景の底に、物や道具の隅っこに、無言で佇むこれらの記憶の根を
見詰める事は、単なる懐古ではない。
今という先端の刺激だけを追い求める痩せた時代思潮は、同時代の
思想の根を細く貧しくするだけなのだ。
明治の欧米化・西洋化という近代は。自由民権の実を実らせず、
戦後の民主主義という自由・平等の理念はoccupied
japanの現実を景気という経済発展の陰に置き忘れつつ、
<神武>景気と名付け、その後今日に至っている。
新たに参政権を得たと騒がれている18,9歳の親の半分だって、
つい70年前に参政権を与えられた親の子が現実なのだ。
現在を時代の裾野から今一度問うべきである。
そして裾野・中腹から今という先端を見つめ直すべきなのだ。
2,3年経て、即旧い、ポイ捨てのゴミの山裾が、真の裾野
では断じてない。
ランドという時代の理念の国が、ランドフイル(landfill)
という埋め立てごみ廃棄場に取って代わる。
そんな貧しい痩せた裾野であってはならないのだ。
「声ノマ 全身詩人、吉増剛造展」とは、現代の時代の根と対峙
するアンチ・ランドフイル、の空間だ。根のランドだ。
そこから時代の真の高みを目指す。
そんな深い意思を顕す展示空間と思う。
*「石狩・吉増剛造 1994」ー7月31日まで。
am11時ーpm7時:月曜定休(水。金 都合により午後3時閉郎)
:「声ノマ 全身詩人、吉増剛造展」ー8月7日まで。
am10時ーpm5時:月曜定休。
東京国立近代美術館 東京都千代田区北の丸公園3-1
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
tel/fax011-737-5503
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