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テンポラリー通信

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2016年 06月 30日

大病院脇に聳え立つ・・・-回路(12)

「現代の眼」618で浅瀬に乗り上げていた「根の精神(こころ)ー
「怪物君」への道」を少しずつ補足してみようと思う。
東京展に併走してその草の根「石狩・吉増剛造 1994」を展示
しているからである。

現在の「怪物君」への道を思う時、その始まりを予感させる2冊の
著書がある。
その一冊は1975年から書かれ始め後に小沢書店より出版された
「透谷ノート」であり、もう一冊は1981年中央公論社文芸誌「海」
に連載した「大病院脇に聳え立つ一本の巨樹への手紙」である。
「透谷ノート」は狭い螺旋階段を上ってゆく塔の描写から始まる。
そして透谷が自殺する半年前に書かれた「一夕観」と「漫罵」との
対比に至る。
それは近代の夢と現実を見詰め透谷に刻まれた深い裂断を感受して
いる一文だ。

 今の時代は物質的の革命によりて、その精神は奪われつつ、あるなり。
 その革命は内部に於いて相容れざる分子の衝突より来りしにあらず、
 外部の刺激に動かされて来りしものなり。革命にあらず、移動なり。

                        (透谷「漫罵」)

「怪物君」に至る吉増剛造の明治の近代化への第一の視角が、この「透谷
ノート」から始まっていると私は感じる。
そしてその後に出た「大病院脇に聳え立つ一本の巨樹への手紙」では、
さらに近代以前の自然への視座とより明確に視座が深度を帯びる。
その書き出しの一章。

 何故、始原やはじまり(詩第一行)を翼なき者が翼を求めるように
 追い求めるのか、追い求めてきたのか。

その問いかけは登山家大島亮吉の名随筆「再び石狩川の本流へ」との
出会いによって形創られてゆく。
その中でも印象に残るのが、何度も途中に出てくる「八王子実践」
という言葉だ。
大島亮吉の名文に誘われるように、吉増は都市の見えない川を登行路
のように歩き出す。
そして森の木の記憶となる。

 樹皮をまとい、夢を孕み、天を摩す。
                   (北千住行)

 樹幹を裂き、夢の坑口をのぼる

                   (緑陰と稲妻)

これらの言葉はその後の「石狩シーツ」を予感させるようにある。
源流から河口へ。
<何故始原やはじまり(詩の第一行)を苦しみ追い求めるのか、追い
求めてきたのか>という問いは、透谷に象徴される明治の西洋化と戦後
のアメリカ近代化というふたつの近代の根を問う「怪物君」の仕事と
そこに立つ大野一雄・吉本隆明という巨樹の存在との深い交流となって
いると思う。
その意味で「大病院脇に聳え立つ一本の巨樹への手紙」というタイトル
は、今象徴的である。
大病院とは近代であり、傍に聳え立つ巨樹とは大野一雄、吉本隆明とも
読めるからだ。

 根幹を裂き、夢の坑口をのぼる
 鬱然、静寂の中、樹々は立ち

 幾人もの影となり、私は下った
 あるいは川(その影響)の源流


*「石狩・吉増剛造 1994」展ー7月31日まで。
 am11時ーpm7時:月曜定休(水・金 都合により午後3時閉廊)
+「声ノマ 全身詩人、吉増剛造展」-am10時ーpm5時:月曜定休。
 東京都国立近代美術館 東京都千代田区北の丸公園3-1

 『現代の眼』618号
  [On view]「声ノマ 全身詩人、吉増剛造展」
  根の精神─「怪物君」への道 ◆中森敏夫(テンポラリースペース主宰)
  下記リンクから読むことが出来ます。
  http://www.momat.go.jp/ge/publications/newsletter/

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503 

by kakiten | 2016-06-30 17:56 | Comments(0)


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