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テンポラリー通信

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2016年 06月 12日

掌というランドー回路(2)

山里稔さんが以前「十能」という北国の懐かしい道具を
写真でFBに載せていた。
想い出すのに暫し時間が掛かった。
石炭ストーブに石炭を入れる小さな鉄のスコップである。
同時に石炭でなくサツマイモかなんかを載せた写真も
載っていた。
ストーブの熱を利用して様々な食物も焼いたり暖めたり
したのだろう。
それで十能という名が付いたのかも知れない。
これが石炭から石油の時代に変わり、十能は消え灯油
ポンプとなる。
大量生産と大量消費そして大量破棄のプラステックの
時代である。
この辺が現代の時代の変わり目と思う。
作る方も使う方も道具が手の延長だった時代。
路上のゴミ焼却炉も消えていく。
プラステックゴミが増え、分別され回収となるからだ。
さらにコンピューターの全盛となって、車のデザインも
従来は粘土の手作業で形を象り仕上げていたのが、画面で
自由自在に描くようになったという。
掌全体から指先操作の手へ、道具も変わるのだ。

吉増剛造展を想い出しながら、その展示方法に大きく手の
道具の相違が関わっているのを感じている。
日誌・覚書の大学ノートとメモ帳。
声ノートと別けられたカセットテープ。
銅板打刻のハンマー・鏨類。
フイルム写真の多重露出。
自筆原稿。
手持ちカメラによる映像撮影。
すべて自らの眼・耳・口を通した手を使った道具たちが各コーナー
の区分となっている。
そしてそれらのコーナーを仕切っていたのは、薄いヴェールの
半透明の黒い紗のカーテンである。
従って人影、流れる吉増の声は互いに繋がり幽かに朧(おぼろ)に
見聞されるのだ。
遮断はされていないのである。
桟敷とも呼びたい各コーナーもそうだが、この展覧会全体が
手の延長としての道具から、機械操作の効率増幅と効率一元化の
機械操作の時代の分岐点を岸辺として成立していると感じる。
ほとんどパソコンを使わない吉増の創造過程の道具たちが、ひとつ
の手の時代を顕して、会場全体がメトロポリス東京と対峙している。
従ってそれぞれの好みの道具ジャンルで深々と沈殿するのも
可能だが、会場全体を巡り、建物の外へ出た時の回路の相違に
気付くのも大きな経験となる。

吉増は吉本隆明の未収録講演集に「根源乃手」という跋文を寄
せている。
    
    間断なく万象に触れている吉本隆明氏の手、・・・に倣って、・・・
    そうか、倣うことに「筆写」乃秘密があって、罫緒、先づ、
    世界を造成するように、象(かたど)る・・・

この<世界を造成するように象(かたど)る>の基底回路が<手>
なのである。
指先ではなく、掌(てのひら)という手だ。
その掌から道具たちが、作り手も使い手からも遠くなっていった現代。
その切れ目を時代分岐の岸辺として、吉増は掌(たなごころ)のような
国・ランドを創っている。
「声ノマ 全身詩人吉増剛造」展とは、そうしたヨシマスランドでもある。

*「石狩 吉増剛造 1994」ー7月31日まで。随時資料を充実させます。
 am11時ーpm7時:月曜定休(水・金午後3時まで。)
 :「声ノマ 全身詩人、吉増剛造」展ー8月7日まで。
  東京国立近代美術館ー東京都千代田区北の丸公園3-1

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2016-06-12 14:30 | Comments(0)


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