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テンポラリー通信

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2016年 01月 25日

千本への道程ー泉(3)

寒気の日が続く。
高臣大介展前期展示作業始まる。
前期は器主体の展示。
本人は京都で別の展覧会で夕刻到着予定。
スタッフが朝8時半から洞爺より会場入りし会場造り。
今年は前後期に分け後期はインスタレーションで、
あふれでるシリーズの透明なガラス房を三百本展示
構成する予定のようだ。
千本を目指すというこのシリーズ。
もはや彼の代表作・ライフワークと思う。
従って今回前後期に分けたのも、自然な分離だった
気がする。
用の器と非用の造形。
それが自然な流れとして、フィジカル→メタフィジカル、
アート→ファインアートのようにあるからだ。
身体性と同じように、頭が先ではない。
胴体(内臓)が先である。
内臓が生命の基盤を構成して、それから手足・頭が成長
し出す。
原始生物の形態をみても胴体部分に後から触手が生えてくる。
卵だってお玉じゃくしだってそうだ。
胴体が在って外の世界と触れる感覚触手が毛のように
発達してゆく。
人間も頭・手足・眼が胴体に内蔵された臓器に繋がり
成長を続ける。
赤ちゃんを見れば大人になる過程がそのまま当てはまる。
心臓や他の内臓が可動し初めて生命が始まる。
それから外界との関係性を保つ五体五感の成長が大人化
の過程だ。
芸術も胴体・内臓に当たるコンセプトがあって外界への働き
かけという表現の技の回路を保つ。
アートがファインアートとなる由縁である。
フィジカルーメタフィジカルというのは、もっと直裁に
その事を現している。
いわばフィジカルにあたる根を抜きに、メタ・花だけを
見る傾向が多い。
それを先人は、
<秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず>と戒め
たのだ。
<秘する>とは見えない内臓のようなものだ。
地下の見えない<杭>不在の高級マンション。
<産地>の偽装された高級美食。
<高速・安価>が売りの<高速>バスの<収益>構造。
他にも同じ構造の<秘すれば>が花とはならない
ただの隠蔽構造は枚挙に暇が無いだろう。
フィジカル希薄なメタフィジカル。
ファインだけを追い求めるアート志向。
カルチベート(足元を耕す)事を抜きにしたカルチャー(文化)
の標榜。
結果優先の直線高速社会。
そうした社会構造に職人(アート)は、秘された花のように
ファインを自らに宣言し、ファインアート(花)を志す。
それがガラス作家高臣大介の「あふれでる。」千本挑戦である
と、私は思う。
千本までの道のりその過程こそが、ファインな秘する花への
道程なのだ。

「みつめあう。」
 -みつめあうのは いつも自分自身だ。

+高臣大介ガラス展「みつめあう。」-1月26日(火)-31日(日)
 前期器を中心に:2月2日(火)-7日(日)後期インスタレーション

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2016-01-25 14:50 | Comments(0)


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