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テンポラリー通信

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2015年 08月 29日

内臓とスマホー窓(31)

腎臓を病んでから、内臓を意識する日常だ。
お陰様で食事も自ら考えるようになり、料理の意味も
門前の小僧ながら少しは理解するようになった。
山と川すら筋肉や血管に見えて、体内と外界が同じような
構造で呼応している気がしている。
街行く人を見ても内臓に手足頭が生えて移動している
ような気のする時も間々ある。
誰かは直腸系とか胃腸系とか思うと可笑しくなる。
赤ん坊は特にその様相が顕著で、正に内臓に手足が生えた
姿そのもののようだ。
内臓から頭が自立し出すと、大人となる。
その頭の自立は見えない所で内臓が支えている。
内臓回帰の大人は時に無意識の内に姿を見せる。
地下鉄車内などで時々見る手鏡を覗く若い女性。
あれは顔を見て化粧をチェックしているというより、
内臓の様子を覗き込んでいるように思える。
チェックの目付きが真剣で、美しいとは縁遠いからだ。
そして次はスマホをひたすら触る。
これも世間という世界の内臓をチェックしているようだ。
スマホはもう一つ外側の手鏡なのかも知れない。
筋肉言語の多い男性よりも、内臓言語の多い女性の方に
内臓を意識するのは自然なのかもしれない。
一番身近に存在しながら、普段一番見えない内臓世界。
頭という頭脳が自立し外界が主役となって、背後に退いて
いた五臓六腑が、外界に接する五体五感の外界機能に埋もれ
、身体の内と外を分断しているのが現代だ。
しかし五体五感は身体の外側の世界ばかりと交信して繋がっ
ている訳ではない。
身体の内側とも本来深く繋がっている。
そしてそれは脳という六番目の臓器、第六感という霊感感覚
を通して人間に固有の表現という創造物の第六体を与えている
事でも証明される。
五体五感を通して内と外が繋がり、内臓と外界が交流する本来の
回路を閉ざし、外界だけに目を向け、時に自閉的に内向きだけに
偏る状況が時代の病と思える。

病を得て如何に内臓世界が生命を司る根本にあるか、という事
を感じるのである。
始終スマホを覗き込んでいる彼氏、彼女よ、
その内なる手鏡を自己中心の呪縛の身体から解き放ち、本来の
内臓言語の外線回路にも切り替え給え。

*村上仁美・高臣大介展「Water Falー花とガラス」
 am11時ーpm7時:1日午後7時~投げ銭ライブ酒井博史
 ソロライブ。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2015-08-29 13:37 | Comments(0)


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