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テンポラリー通信

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2015年 08月 28日

通り・界隈・町の根ー窓(30)

酒井博史さんがフェースブックで東屯田通りにあったサウナの
思い出を書いている。
父親に連れられて遊んだ入浴の記憶。
その場所がそのまま放置され残っていたというのだ。
東屯田通りの申し子・タウンボーイヒロシの独壇場だ。
4,5歳の時の記憶が鮮やかに蘇えり、昨日の光景のように語られ
彼の今は亡き父の背中が見える。

通りも界隈も違う私にも同様な記憶がある。
サウナではなく、銭湯の記憶だ。
そして何故か父ではなく、祖父の記憶だ。
私の生まれた駅前通りの裏にも風呂屋があった。
そこへ何故か泣きじゃくりながら、祖父と銭湯にいた。
背中を流してくれ、泣くなとばかりにゴシゴシと背中にタオルを
あて擦ってくれた祖父。
逞しい明治の男の優しさが肌を通して伝わっていた。

街に住がしっかりと根付いて生業とともに在った時代。
そこには通りと界隈が店の形をして、銭湯のように点在していた。
物流だけではなく、人と物、人と安らぎ、人と住まいが有機的に
連なり構成されてもいたのだ。
銭湯がサウナとなっても、まだ酒井さんの時代まで、サウナも
父と一緒に行ける銭湯的要素を残して、東屯田通りはあったの
だろう。
私の記憶では、サウナはもう大人の社交場のようで、子供の
姿の記憶は無い。
当時オーム真理教が社会的に問題となって、そこでサウナに
いた浅原という友人が語っていた話。
急に呼び出しのアナウンスがあり、お客様でアサハラ様、アサ
ハラさま、お電話が入ってますと呼ばれた。
彼は自分の名前に敏感になり、しばらく時間を置いてからカウ
ンターへ向かった、と笑い話にして話した。
サウナが街の中に出現した頃はもう私の生まれた通り・界隈から
住の構造は消えかけていたと思う。
東屯田通りは、街の中心部から少し西寄りの薄野と山鼻住宅街
の中間に位置していてシテイ(市街地)と高級住宅街の間に
広がるタウン(町)のようなゾーンだった。
住まいとビジネスが分離していく寸前の、住まいと生業が共存し
かつ部分的にサウナのようなビジネス領域も進入してくる新旧グレ
ーゾーンでもあったのだろう。
だから判子職人で住と店が一緒の酒井さんの家のような人にも、
サウナはいわばモダーン銭湯のように父と子の癒し場でもあった
のだと思う。
その意味で東屯田通りとは、商店街から人の住と生業の分離が始
まるその境目の位置に存在し、酒井さんの記憶に残されたと思う。
住を含んだ生業の通りは、生業がショップとなり住の匂いをかき消し
、高層化したエレベーター・エスカレーターの上下構造となり、さらに
はタワー化しドーム化して、消費の囲い込み・囲繞地というプラザ
化が進むのだ。

亡き父親との記憶に存した懐かしいサウナ。
そのまま残されたそんなサウナに奇跡的に出会った酒井さんは。
商品の背後に根付く人の<住>の語り部として、今後も活字印刷
の伝道と歌い手として生活の根の情感を伝え続けて欲しいと願う。
どちらも君にしか出来ない、町の根の仕事だよ。

*村上仁美・高臣大介展「Water Fall-花とガラス」-9月1日(火)-
 6日(日)am11時ーpm7時。1日午後7時~投げ銭ライブ酒井博史
 ソロライブ。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2015-08-28 14:13 | Comments(0)


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