そう簡単には夏は去らない。
寒の戻りならぬ暑さの戻りである。
そんな日沖縄の弦楽器を弾き謡う東京の川戸郷史君が来た。
いつも一緒の東欧人君も一緒だ。
今夕ライブがあるという。
ここへの訪問は今年初めの吉増剛造展以来だ。
いつも思いがけずふっと現れる。
あまり時空を感じさせない座敷童子のような人たちだ。
暑さが戻りその気温とともに現れたのだろうか。
9月の沖縄石田尚志展にも行くと言う。
その他東京吉増情報とかも教えてくれる。
信州で舞踏の大野慶人と吉増さんのコラボの話も聞く。
石狩の香がテーマという。
大野一雄亡き後大野先生を追悼する世界中の人たちからの
招きで多忙だった慶人さんの久し振りの石狩を主題とする
出番である。
心動くものがあった。
これも見に行って動画外情報を送ります、と川戸君が言う。
私は慶人さんと亡くなった歌舞伎学の権威郡司正勝先生の
話をする。
郡司先生が慶人さんの為に遺した戯曲。
それを踊る予定の打ち合わせの時郡司先生が死去し、急遽
参拝に札幌へ来た慶人さんくを先生自宅まで案内した事がある。
その帰路前の円山の店舗近く、北一条通りの洋館鬼窪邸前を
通り、ふっとこの辺りを主題に白秋の「この道」の歌ができたと
話すと慶人さんは吃驚していたのだ。
その後彼の最初の舞踏でバックに使われた曲だった事、そして
郡司先生の遺作を最初に公演した時も結局「この道」が使われ
た事が判る。
この郡司先生の遺作は未だ札幌では公演されていない。
札幌ススキノ生まれの先生の為にも、百余歳で亡くなった大野
一雄さんの為にも、そして勿論大野慶人さんの為にも札幌で
この遺作を上演実現したいと思っていた。
北原白秋の「この道」に因む場所も考えていた。
大野一雄が札幌と深く魂を交流させた野外公演「石狩の鼻曲がり」
の石狩河口から遡るように鮭がかって産卵した源流域である。
そんな場所を、かって鮭の養殖場もあったという泉湧く泉池に建つ
明治の洋館清華亭辺りと思っているのだ。
川戸君の訪問でその情報から今まで封印していた気持ちが再燃
してくるのを感じる。
暑の戻りは季節だけではないようだ。
*村上仁美・高臣大介展「Water Fallー花とガラス」ー9月1日(火)ー
6日(日)am11時ーpm7時。
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
tel/fax011-737-5503