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テンポラリー通信

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2015年 08月 19日

夏の末ー窓(24)

どこかもう秋の気配がする。
ー秋とは夏の年(sak-pa)の中に含まれ、春はsak-paの初め
秋はsak-paの終である。それでシズナイやシャマニでは秋の事を
sak-kes(夏の・末)とも言うのである。

                  知里真志保「地名アイヌ語小辞典から

1年を夏・冬で数えた先人のこの地での体感感覚が生きている季節感。
均等な四季ではなく、短い春・秋を含んだ夏。
そして長い冬。
最近の地球温暖化で少しズレてはきてるが、北海道では大きくは
今でも二季節に集約されるのかも知れない。
短い春の夏の始まりが色彩で言うなら、福寿草の黄であるなら、秋は
どんな色だろうか。
やはり紅葉の始まり橙色か赤だろうなあ。
テンポラリーの壁を毬藻のように覆う今年の蔦も、やがて橙色から
深紅の燃えるような朱に染まる。
1週間程の短い秋のsak-kes(夏の末)だ。
人と共生してここ3、4年、壁の蔦がびっしり生育した。
お金や人の手では不可能な自然の装飾。
髪茫々を咎めるように、切りますか?とお節介やく人もいる。
また自分の家では蔦が育たないので、種をくれと言う人もいる。
無人の廃屋のようだった時には、細い蔦の蔓だけの壁だったが、人の
往来があり家屋の温度湿度が高まった所為だろうか、一緒に喜んで
美しい緑と深紅のsak-pa(夏の年)を迎えてくれるのだ。
お金をかけてキンキラ・ピカピカの外装を飾るよりも、なんと自然の
共生という共住生活だろうか。
家屋全体を覆うような旺盛な蔦の生命力だが、それは決して原始林
の荒々しいそれではない。
人の生活・活動と共に生きている親しい境界の生命力なのだ。
明治の治水学者岡崎文吉のように、人間に都合の悪い一部分だけを
そっと手を加え共生する自然主義を、川だけではなく植物にも適用し
たい気がする。
川の蛇行も植物の曲線も同じ自然の生命の律動・リズムなのだ。

テンポラリーの外壁の話の次は、内側の話である。
来月1日から始まる村上仁美・高臣大介展は、昨年末から今年初め
に展示された吉増剛造展で村上さんの活けた木の根に感激したガラス
作家高臣大介さんの強い意思により実現した展覧会である。
村上さんの巨大な根の作品は当事者の吉増剛造をして感服絶賛の
声を上げさせた。
そしてもうひとり絶賛したのが、高臣大介その人だった。
ふたりの稀有な作家に認められ、それこそ地中の根のように表立たず
静かな力を蓄えていた花人村上仁美さんの登板となった経緯がある。
村上さんの表示した展示タイトルは大介氏の賛同も得て「Water Fall」
となった。
sak-kes(夏の・末)に相応しい水の根の落下・滝の展示となるだろう。
ふたりの天才を深く感動させたあの巨大な自宅庭の木の根。
根は今、水という光を求めて地中の空に梢のように掌をのばしている。
その水を主題に地中から空へと繋ぐWater Fall。
根は巨大な龍ともなって水を遡り空へ虹のように向かうのかも知れない。
透明な水と光と空気の存在感を高臣大介の透明なガラス造形が
燦々と寄り添う事だろう。

sak-kes(夏の末)の水の花火、
ガラスと花の競演が楽しみである。

*村上仁美・高臣大介展「Water Fall-花とガラス」-9月1日(火)ー6日(日)
 qm11時ーpm7時。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2015-08-19 13:42 | Comments(0)


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