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テンポラリー通信

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2015年 08月 18日

お盆過ぎてー窓(23)

お盆過ぎて心なしか朝夕涼気を感じる。
今朝は雨。
濡れた空気に緑が深い。

今年のお盆は普段は遠くにいて逢えないような人と
逢っている。
札幌彫刻美術館の個展でベルリンから帰国し滞在中の
谷口顕一郎さんと年齢の離れた高校三年生野崎翼くん。
そして14年前ちょうど今の翼くんと同じ年齢の村岸宏昭
と知りあい私に紹介してくれた谷口さん。
その彼が茨戸川に立つ二本のポプラを見て来てから始ま
ったのだ。

人の多く集まる観光並木のポプラと悲運の治水学者岡崎
文吉の明治の護岸の記憶を伝える受難のポプラ。
多くの友人に恵まれた生前の村岸と水に流され川で溺死
した受難の村岸宏昭。
彼の命日がこのポプラの姿と重なって、顕れていた。
世代の離れた3人の真ん中に素知らぬ顔をして居たのは
ムラギシだと、私は思っている。
ふっと何時の間にか集まりの片隅に居る、そんな感じの奴
だったから。
南先生が追悼文に記した「座敷童子型ズタボロ系」のように、
彼の風貌が浮かんだ。
そして痩せて背が高く頭ぼさぼさのその姿は、正にポプラ
のようだった。

海外の遠い国、平成という近い時代生まれの若者、そして
さらに遠い冥界からと、お盆の不思議な初日が過ぎ二日後
私は本当のお墓参りに行った。
曇天の蒸し暑い日だった。
渋滞する車の列を避けて平岸の丘の上の方から墓場へ入る。
ピークの過ぎた日だったのか、いつも多いカラスも少なく、
静かな墓地だった。
墓石を洗い、手を合わす。
記憶に残る祖父母、父母、そして写真にだけ残る叔父叔母。
ムラギシの死の翌年他界した女房を含め合掌の掌の向こう
には多くの死者がいる。
自宅での朝、いつも祖父の遺した仏壇の前で手を合わせる。
その時先祖たちへの祈りを終えて、もう一度友人恩師10名の
霊に名を上げ祈る。
その最後は石田善彦・ムラギシである。
何故か二人づつペアで並ぶ。
最近ではロジャー・大橋と連名で祈る。

祈る時の手は、掌と書く。
<てのひら・たなごころ>と読む。
指先が主体ではなく、包み・容れる心の行為はきっと<掌>な
のだろう。
お盆が終わって掌の時間が過ぎていった。
てのひら(掌)の身近さで、掌(たなごころ)の親密な時が過ぎて
いく。

生きている現場の遠い3人を尋ね逢わせてくれたのは、合掌という
掌の出会いだったのかも知れない。

*村上仁美・高臣大介展「Water Fall」-9月1日(火)-6日(日)
 am11時ーpm7時。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503、

by kakiten | 2015-08-18 14:16 | Comments(0)


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