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テンポラリー通信

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2015年 08月 16日

お盆・命日・ポプラー窓(22)

今年のお盆初日はムラギシ10回目の命日。
その日は私に最初にムラギシを紹介してくれた谷口顕一郎
さんの訪問で始まった。
13日茨戸を自転車で廻った谷口さんが此処に寄る。
今札幌彫刻美術館で展示中の彼のメイン作品のテーマの
ひとつ明治の治水学者岡崎文吉の遺した護岸工事跡を見て
、その後岡崎文吉が奨励した当時米国から輸入されたポプラ
の植樹の名残り、川傍の農場に立つ二本ポプラを初めて見て
きた感動の報告だった。
何かを語らずにはいられなかったのだろう
川の自然の蛇行を基本に護岸を考えた理論は当時認められず、
失意の内に敗戦の年この世を去った岡崎文吉の志を今も伝え
るかのように立つ二本のポプラ。
写真家のY君が教えてくれたポプラの語源には、人が多く集
まるという意味と、真っ直ぐな幹ゆえキリストの磔の木だった
という由来もあるという。
そんなポプラ談義をしていて、思い出して今日は村岸宏昭の
10回目の命日だよ、と谷口さんに伝えた。
14年前彼の凹み作品の折るバリエーションコンテストで一位
を獲得したのが北大入学したばかりのムラギシだった。
その彼を優秀な若者がいるよ、と私に紹介したのがケンさんだ。
それから4年後村岸宏昭は伝説の人として四国・高知の鏡川
で遭難死を遂げる。
今は生前のムラギシを知らない人が、彼の残した足跡を記録
した遺作追悼本によってムラギシを語るのだ。
彼の遺した楽譜・演奏・美術インスタレーション・文章、
そして彼を追悼する多くの友人たちの文章。
それらが今も未知の人たちを魅了し続けている。

そんなムラギシの話を命日の日にケンさんと話していて、ふっと
私は追悼文にあった音楽の恩師南聡先生の言葉を思い出していた。

 まだ北国の、陽の光に眩しさが戻ってきたものの、まだ木々の
 芽吹かない春の早い時期、その青年はぬーッッと我が仕事場に
 現れた。今風というのだろうか、年寄りのイメージで言えば
 パーマをかけた座敷童子のような髪型で、痩せていて背が高く
 て、ズタボロファッシヨンの、それでいて優しく穏かな雰囲気
 をした若者・・・であった。

         南 聡「村岸宏明の作曲についてのあれこれ」

背が高く、ぬーッツとして、どこか茫々たる姿。
あれっ、ムラギシはポプラみたいな風貌だったなあ~とその時
思ったのである。
茨戸の河口に近い草原に立つ二本のポプラ。
それを初めて見てきた谷口さんが奇しくも彼の命日に来ている。
ポプラの語源の人の多く集まる意味と受難の磔の意味が、北大生
だった彼とその死を招いた川の存在がまるでポプラの語源と重な
って感じられたのだ。
輸入されたポプラを著名にしたのは、北大のポプラ並木である。
そして岡崎文吉の自然工法の護岸工事の悲劇を今に伝えるのは
茨戸の二本のポプラである。
ポプラの語源の意味に村岸宏昭の短い人生が重なって見えた。
川が好きだったムラギシは、遠い明治の先輩にもあたる岡崎文吉
の治水理念を知れば、きっと深く共感し喜んだに違いない。
そして無謀な川との接触を少しは岡崎文吉の護岸の在り方から
身を守る術も学び得たのかも知れない。

ムラギシへの感慨に耽っていたら、これも3年程前谷口さんが感心
して推奨していた高校3年の野崎翼君が来た。
私も彼の事は気になっていて、やっと先日会って午後8時まで話し
込んだばかりだった。
そして3日前彼の折り紙展を見て来たばかりだった。
谷口さんも行く予定が忘れてひどく残念がっていた。
折角だからと翼君に電話したら、飛んで来たのだ。
谷口さんの作品を折って畳み込む折りの話と翼君の和紙の折りの話
が妙に重なり、折り立体談義が続いた。
そして自然に沿った古い道も、大地に折られた道という折りでは
ないかと私は思っていたので、その話をした。
ショートカットの物流主体の道とは違う風土という自然を蛇行する
自然な道である。
三人が三様の折り談義が続いた。

このお盆の初日、ムラギシが翼君になって現れたような気もする。
ムラギシーポプラー翼くん。
不思議な日だったね・・・ケンちゃん。

*村上仁美・高臣大介展「Water Fall-花とガラス」-9月
 1日(火)-6日(日)am11時ーpm7時。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2015-08-16 14:40 | Comments(0)


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