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テンポラリー通信

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2015年 08月 08日

落差ー窓(18)

ヒロシマの日を迎えて今年は70年の年でもあり、当時の
映像が新たに発掘されて特集されている。
その中で被爆直後に撮影された2葉の写真の再現があった。
妹か弟の黒焦げの体を抱き、踊るように揺すって問いかけ
るまだ押さない少女の姿。
周囲には呆然と道端に座り込む多くの少年少女たち。
橋の上まで辛うじて逃れて来た被爆者達である。
この2葉の写真が最新のデジタル技術でより鮮明に視覚化
されたのだ。
立ち竦む人の中に皮膚の垂れ下がった姿もある。
高熱で激しい光が空から落ちてきた為、身体の表皮がズリ
落ちて手の先まで剥がれ、ぶら下がっているのだ。
強烈な光の落下。
髪はちりちりとなって焦げ、皮膚は剥がれずり落ちる。
体内の水分は一気に蒸発し、赤ん坊は黒い炭の人形となり、
生きている人間は水を求めて川のある橋上までやっと辿り
着いた時の写真だ。
国家間の戦争が人間の生の根っ子まで根こそぎ破壊する
核の戦争というものの残虐さを何よりも示す記録である。
この場で生き残った人の証言を基に現場の動きもCGで
再現されていた。

猛暑が日本全体を覆い、暑い、暑いと熱中症警報が連日出
る毎日だが、核の熱度はそれすら悠長とする極度のものだ。
自然の極度を人間が人工的に力を過信して触れると、人は
もう極限状況の自然と向き合う事になり、そこに勝者も敗者
も存在する事は有り得ない世界が出現する。
その結果人間自体が滅びていく。
日焼けした健康そうな身体とは、緩やかな自然の強度があって
こそ可能な世界だ。
水も空気も光も、その極度の存在に人は直接触れてはいけない
世界である。
緩衝地帯という知性の界という世界を守らねばならない。
原子力とはそうした自然の極点、野生そのものの原点と思う。
かって人は本能的に、自然・野生への畏れと敬いを保ち
間の世界・中間の緩衝地帯を様々な形態で文化として構築して
きたと思う。
そのゾーンを人の欲望が破壊し、それに比例して自然もまた境を
越えその荒々しい野生を顕にしてくる。
空気・水・光の野生化である。
触れてはいけないものに触れた人類は、炎に手を突っ込む愚を止め
られない処に来ているような気がする。
自然の保つ野生とは、激しい落差のエネルギーであり、その落差を
心地よい落差として毒を薬にするようにして文化があったのだ。
野生自然への畏怖という精神世界を喪失した時世界は剥き出しの
風の根・水の根・光の根となって襲い掛かってくる。

津波・台風・猛暑。
水の根・風の根・光の根。
これら自然・野生の根は、生物という小さな現象を一瞬にして
原子の素に分解し滅ぼす。
原子爆弾の光の熱波により剥がれ落ちた表皮の姿は、正にその皮膚
という界(さかい)の世界を喪失していく未来の姿という感じた。

*村上仁美・高臣大介展ー9月1日ー6日:am11時ーpm7時。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2015-08-08 14:05 | Comments(0)


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