今年初めて自転車に乗る。
少しふらつく。
眼の位置が違う。
ハンドルが左右に揺れる。
微かな登りに息が切れる。
風が柔らかい。
風景が肺に吸い込まれる。
次第に身体が慣れてくる。
ああ、この感覚だ。
五感が外界と呼応する心地良い緊張関係。
削りたての鉛筆の黒い芯のような先の尖った靴。
BやHの太い足や細い足が噛み付くような勢いで
飛ばす早足歩行の街の半年。
自転車でも同じような走り方をする人はいるけれど、
周囲に広がる森や遠くの山並み、風が街とは違う。
根付き生息する精が満ちているからだ。
木々も草も風も地に根を下ろしてゆるんでいる。
移動が主軸ではない、その場に垂直な生の揺らぎが
通過する私の移動を抱擁している。
緩やかに蛇行する移動なのだ。
街はショートカットの直線が支配して、この有機的な
歩行の抱擁は消えている。
ある時代まで街がすべてそうであった訳ではない。
移動し移住し、そこに固有の根を下ろして小さな移民が
その地に文化を育ててきた。
札幌で言えば、薄野には薄野の、駅前通りには駅前通り
の、円山には円山の、それぞれの地域の小さな固有の根
を下ろした移民の文化があったのだ。
その地域の根の文化が根こそ物流の移動軸に剥離されて
ある。
<住>の根と<民>の根が喪われて、<移動>の<動>
だけが尖鋭化しているのだ。
速度を上げ効率を追求する移動の加速化と地に根を下ろす
移住と移民の浸透する文化の速度は、都市と自然の永遠の
対峙する命題でもあるだろう。
どこで拮抗し、どこで折り合うか。
その問題は今も昔も変わらぬ永遠のテーマだ。
*八木保次・伸子追悼展ー4月22日(火)-5月11日(日)
am11時ーpm7時:月曜定休。
テンポラリーースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
tel/fax011-737-5503