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テンポラリー通信

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2014年 02月 04日

出立と断念ー一角獣・如月(1)

最近歩行と地下鉄通勤の両方を通して、その差異を感じる。
時間にして3分の1の差異があるだけではなく、世界も
違うからだ。
そしてふっと明治の時代北海道に移住してきた祖父を想った。
福井県からの移動はこんな差異どころではなかっただろうと
・・・。
故郷と当時未知の北海道へ渡る間には水杯の別れのような
断念と他国へと旅立つ夢とがその移動の背後にぴったりと
張り付いていたに違いないからだ。
今移動する事にそんな濃厚な断念も夢も薄れている。
移民という言葉さえ単なる移動でしか無いのかも知れない。
もし近代と現代の構造的差異があるとすれば、この出立の
断念と夢の濃さの差異がひとつの目安になるのかも知れない
と思う。
この断念と夢の構造は、ごく最近まで精神的な構造として
存在したのではないか、と思うのだ。
学生運動の最中、恋と革命の理想に傷つき自死した岸上
大作の遺した歌。
 
 断絶を知りてしまいしわたくしにもはやしゅったつはつげられている

あるいはその後の時代の同じ学生運動の最中に自死した奥浩平が
遺した言葉。
  
 「さようならと総括」

これら1960年から70年の時代にも、ある深い断念が出立である
構造を精神の深い処で保たれている事が感じられるのだ。
それが共に死という悲しい結末を孕んだにせよ、共通しているのは
出立という行為への熱い願望が色濃く潜んでいる事である。
そしてそれは同時に現実への深い断念がその背後に秘めている事だ。
この断念を深く経ずして安易に移動が行為されるのが、現代の病で
はないだろうか。
離れるー移動するー移民するといった人間の深い行為が、ある断念を
背後にして為される本質的な行為である事を喪って只の物理的移動と
なって故郷も他国という夢も薄弱な存在となる。
そんな時代を生きているような気がするのである。
移動は漂流となり、未知の他国は消え故郷も喪失する。
ある断念から他国へと移動した行為には、他国から顧みられた故郷
という国がある。
断念した場が夢として再生するからである。
それを人は故里と呼んだのだ。
ある深い断念が出立を支え、その断念が夢を産む。
近代においてアメリカという新大陸の国造りの原点にもかってそう
した断念の移民たちがこの国を造っていったのだと彼の地を訪れて
感じた事があった。
アメリカンドリームとは新たなランドの創造であり同時に棄民の
断念の出立のランドでもあったからだ。
小さなアメリカともいえるこの北海道においても他県からの移民
が多くあった訳で、それは今個の領域において再び問われている
気がするのである。
真に断絶を経験して行為しているのか。
単なる移動の日常に溺れていないか。
真の絶望と真の希望は裏腹の関係性にある。

*高臣大介ガラス展「ひびきあう」-2月18日(火)-23日(日)
 am11時ーpm7時。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2014-02-04 14:13 | Comments(0)


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