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テンポラリー通信

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2013年 02月 19日

ランドという入口ー燃える如月(11)

北海道の総人口の半分近くを占める札幌市に近く、その都市圏
メガロポリスの一隅として在る江別市。
しかしながら札幌都心部よりも歴史的に古い固有の歴史を有
している場所でもある。
その事実を飛鳥山というこの地域に立つ小さな丘を主題に探求し
た秋元さなえの展示も会期が半ばを過ぎた。
明治開拓期に重要な商業圏として栄えた江別市は、石狩川の
水運と鉄道の陸運の要地として繁栄したようである。
しかし大正・昭和になると、新たに札沼線の開通、夕張鉄道の開通
等の内陸鉄道網の完成により衰退の途を辿る事になる。
かって旭川・小樽に次いで栄えた江別商業圏は衰退してゆく事と
なる。
物流の拠点だった江別市がそのグローバルな位置を喪失し、今
や札幌メガロポリスの衛星都市のようにひっそりと存在している。
そんな地域の歴史的・地理的固有性を掘り起こして、秋元さなえは
何を表現したいのか。
故郷に閉じている歴史を綴りたいのだろうか。
あるいは新たな町興しとして郷土史を発掘する事に主眼が
あるのだろうか。
そのいずれでもないと思える。
しかしその辺りの曖昧さを包含しながら今回の展示はある。
今後の方向性がもし郷土史から町興し的な方向性を選ぶなら、
それは故郷というローカルな地平から新たな物流のグローバル
な位相へと転換する、敢えて言葉で言えば、グローカルとでも
いえる方向性である。
しかしながら、この地の固有性を美術として文化の方向性で捉える
ならば、それは物流のグローバリズムに裏打ちされる方向性ではなく、
風土というランドの視点から深化するインターローカルな方向性が問
われてくる。
風土から生まれるインターローカルな視座とは何か。
それはその場が保つ固有の風景を基底とするある普遍性への試み
とでもいえるものだ。
例えばセザンヌにとっての故郷の小さな山へのような視座である。
今の時代にそのような風景としての故郷=ランドとしての視座を
再び獲得でき得るかどうか、というのは私たちには重い問いとして
存在する。
秋元さなえが見詰めた故郷の小丘飛鳥山が、ランドとして真に再生
でき得るかどうかは、今後の彼女の生きる方向性そのものとも思える。
その意味で今回の初個展は、江別の原意(イ・ぷッ:川口・入口)の
新たな転位のイ・ぷッ:入口:江別に作家自身が立っているともいえる
と思う。
そしてその入口への位相とは、私たちの時代のそれぞれの場において
問われるべきランドへの<入り口>の問いかけとも思われる。


*秋元さなえ展「121年前のよろこび」-2月21日(木)まで。
 am11時ーpm7時。
*今田朋美・久藤エリコ展「ハツゲン」-2月24日(日)-3月2日(土)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2013-02-19 12:42 | Comments(0)


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