夏疲れの昨日、山田航さんが来る。
処女歌集「さよならバグ・チルドレン」が出版され、持って来た。
ちょうど来た次回展示予定者の秋田奈々さんと一緒に本を見る。
そこへKさんも来て3人で貪るように出来たての歌集を読む。
しばし声が無い。
やがて、秋田さんが声を発した。”読みやすいわあ!”
それから個々の感想が飛び交った。
出版されてすぐ、増刷が決まったという。
これは売れるわ、そう思った。
短歌という三十一文字の研ぎ澄まされた器に、言葉の旬(しゆん)が
新鮮なのだ。
辛味のあるシャキとした批評性もその中にはあって、情感に溺れず、
詩を引き締めている。
読むと連想が湧き、沈黙が続くのだ。
みどり色のキャラメル箱にからころと揺られキャラメルになりたいふたり
めぐりあふ場所としてまだ駅はある海辺をずっと離れないもの
張りつめる水平線は彼方から彼方へつながれる糸電話
(R134)
鉄道で自殺するにも改札を通る切符の代金は要る
昨晩のその場しのぎの言い訳にサランラップがかけられている
(スタートライン)
置き忘れられたコーラが地下道に底無し沼のやうに聳える
たぶん親の収入超せない僕たちがペットボトルを補充してゆく
(ペットボトル・ウオーズ)
空色の壁に囲まれた人はなぜ羽根あるものを飼ひたがるのか
(ランブルフイッシュ)
と、取り上げれば限りが無いが、ここにあるある種平易な日常の言葉が
ふっと生きている日常の亀裂を覗かせ、沈黙を強いるのだ。
しかし、それは決して世界を閉ざす言葉ではない。
ある勇気のような日常性をも湛えているような気がするのである。
私は個人的には次の一首に勇気を頂いた。
フランスパン輪切りにしながらわかっている君が誰よりもがんばってることを
(秋の誘蛾灯)
それぞれの今という日常を、ひとつの小さな言葉から読む人それぞれが回路
を見つけて思いを廻らす。
この本はそれが可能な優れた言葉の日常ICチップ・詩の集積回路である。
短歌という言葉の武器、定型というものの保つ力を感じさせる。
ツイターのような現代の潮にも乗って、短歌という形式は現代に再生しているの
かも知れないなあ。
*「記憶と現在」展ー8月17日(金)-31日(金)am11時ーpm7時。
月曜定休。
*秋田奈々写真展ー9月中旬予定。
*山田航歌集「さよなら バグ・チルドレン」(フランス堂・2200円)
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
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