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テンポラリー通信

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2012年 06月 05日

大木裕之展最終日そして翌日ー玄黄・5月(25)

大木裕之展「メイ」最終日、どこからともなく多くの人が集まる。
そして、2階吹き抜けに腰を下ろして足をぶらぶらする人、床に散乱する
大木さんの生活の痕跡の間に坐る人、と思い思いの姿で壁に映された
映像に見入っていた。
午後7時過ぎには、ちょうどニューヨークから帰国中の美術家中岡りえさん
も見える。
大木さんとも10年以上前からの知り合いで、たまたまこの訪問と大木展
最終日と重なったのは不思議な偶然である。
人が去って午後10時近く静かに片付けが始った。
散乱するこの10日間余りの大木裕之の心の細胞のような残骸を、ひとつ
づつ丁寧に仕分けしながら、本人が片付けてゆく。
余人が入る雰囲気はない。
愛しむように、散乱する物たちが整理されてゆく。
それはあたかも埋葬の儀式のようにも思えた。
そして最後に、セロテープを伸ばし梁に立ち上げた紙片の貼り付いた筋(すじ)
のようなものだけが3本ほど残る。
床はすっきりとして、この立ち上がる筋のようなものが、空間を非常に有機的な
筋肉質の空間に変えた気がした。
あんなに在ったはずのゴミのように見えたものは、どこに消えたのか?
不思議な気持がした。
表面を覆っていた猥雑なものが消えて、筋肉の筋(すじ)のようなものが顕れて
立ち上がっていた。
この日大木裕之は、ここまででダウンした。
明日帰るので、後はよろしく、と言い残し別れた。

翌日は定休日で、ぐったりと眠っていたが朝から何度か電話が鳴る。
出ると大木さんからで、残りの後始末を夕方の飛行機の時間までしたい
と言う。
森美千代さんにも連絡したという。
了解し少しふらつきながらも自転車で会場に向かう。
昨夜見た照明の中に浮かび上がった筋(すじ)のように締まった空間は、
昼の光の中に緩んで散漫に見える。
ああ、やはりまだ片付いてはいない。
それからやがて到着した森さんと大木さんは、ふたりで話し合いながら
ゆっくりと片付けをする。
写真と映像の相違と今回のコラボレーシヨンの意味を確認しあうように
話が途切れない。
私は疲れていたので奥の椅子に横になり、ふたりの話を黙って聞いていた。
それから3時間余り、見事な片付けの行為は終った。
瓦礫やゴミのように見えた物たちが、小さな袋に納まり手渡される。
本当はここで焼きたいのだけれど、と大木さんが言う。
今の時代はもう、そうしたゴミ処理は出来ないからと、森さんが言う。
こうして9年目の「メイ」滞在制作展は終った。
フクシマのフの字も口には出さなかったが、この滞在制作展を通してトニカ
のように貫かれていたものは、瓦礫といい、ゴミといわれる人間の生活が生む
剥がれ落ちた垢のような、捨て去られるものを指の間から掬い取る深い心の
エネルギーのようなものである。
それが大木裕之の深い心の3・11フクシマでもあるような気がする。
大木裕之の映像と同じように見事なランドフイル再生の滞在制作だったと思う。
そして森美千代さんの作品は、大木裕之という磁場が生んだ光のフレアー
である。
そんな気が今するのである。

*森本めぐみ展ー6月6日(水)-18日(日)am11時ーpm7時:月曜定休。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2012-06-05 13:19 | Comments(0)


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