H氏所有の八木保次作品来る。
一気にまた春が増えたような気がする。
私の持つフキノトウのような油絵とはまた違う、グワッシュの黄色と赤の
絵画である。
これにK氏の所有作品、N氏の所有作品が揃えば、あの時代、ある時期
の友人たちの八木さんを囲む時間が甦る。
それぞれ年齢も仕事も違った友人たちが、あの時期なぜかみな八木さん
と知り合い作品を手に入れていたのだ。
時は過ぎて、それぞれの環境も変わり、八木さん夫妻も故人となった。
しかし作品は変わらず今ここにあって、その熱い時間をそこに満たしている。
その満たされた時間は、過ぎ去った分だけ逆に濃く純粋に存在する。
作品の良し悪しを言うのではない。
そこで出会った時間が煮詰まって存在するのである。
H氏が踊り、K氏が踊り、八木さんが踊った。N氏はひたすら笑い、酒を
口に運んでいた。
そんな破天荒で無礼講な時が存した。
H氏は仕事を独立させ職場を新たにし、K氏もそうだった。
N氏は新たな分野への転換を見せていた。
そんな人生上の転機の時にそれぞれが八木さんの絵画を手に入れた。
その精神的に純粋な動機が、今作品に凝縮して存する。
作品批評としての良し悪しを言うのではない。
購入の動機に、購入者のその時の人生上の純粋な選択があるのだ。
その選択したものに再び出会うのである。
そしてそこに、それぞれの八木保次・伸子がいる。
さらにいえば、八木保次・伸子という作品を借りた自分と出会うのである。
そしてその自分が、われわれのそれぞれの八木保次であり八木伸子なのだ。
追悼とは、誰の事でもない。
純粋な自分自身の化身ともう一度出会う事でもある。
*追悼・それぞれの八木保次・伸子展ー4月17日(火)-30日(日)
am11時ーpm7時:月曜定休。
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
tel/fax011-737-5503